観音正寺・観音寺城 埋門
石塁内に開口部を設けた「埋門(うずみもん)」です。観音寺城・観音正寺では3か所で確認することができます。近世城郭の埋門は、秘密の・・・「隠門(かくれもん)」的のイメージがありますが、ここの場合、少なくとも設置場所はそういったところには見えません。
あと、埋門と直接関係するものではありませんが、「扉石」もここで扱います。
伝後藤邸 埋門
坊院群A(伝進藤・後藤邸)の、伝後藤邸最下段西辺の石塁にあります。板石の天井石が1枚残っていて、斜めに落ちています。
埋門の両壁高は1.3m、奥行きは1.7mです。床がこのレベルかどうかは不明ですが、大きく下がるようには見えません。後藤邸最下段西辺部の出入り口はここだけです。
伝木村邸 埋門
伝木村邸は、観音寺城主要部がある繖山西尾根の東斜面中段にあります。城郭に関連する曲輪です。
埋門は、曲輪南辺の石塁にあります。この石塁は、伝池田丸南側下の「大石垣」に連なる観音寺城外郭ラインありますが、外郭ラインの石垣としては貧弱です。
埋門の両壁高は0.7~0.8m、奥行きは1.7mです。床がこのレベルかどうかは不明ですが、正直、出入り口としては狭すぎると思います。
伝平井丸 埋門
伝平井丸は、中井均氏(2022年)が主殿(対面所)と推定する観音寺城では最も中心的な曲輪です。
正面(南辺)部の石垣(石塁)と門構えは、安土城以前としては他に例のない威容を誇る巨石積みです。
埋門は、その石垣(石塁)の正面右手にあります。2017年段階では天井石1枚が残っていましたが、現在はすべて落下しています。●●年前、10代のころには通り抜けた記憶があります。
埋門の両壁高は1.0~1.4m、奥行きは2.4~2.6mです。数値は、滋賀県教育委員会報告書(2012年)からの引用です。
伝池田丸下無名曲輪 扉石
埋門とは直接関係ありませんが、伝池田丸東側下の無名曲輪(一部で扉石曲輪)に「扉石」と呼ばれる不思議な加工?石があります。長さ3mはあるでしょうか。2009年ごろに割れてしまったようです。くわしくはこちら 。
この扉石、もともとは2枚あったそうで、もう1枚は奧之院裏に運ばれ、現在ある「佐佐木城址」の標石として使われたとのことです。これは こちら からの情報ですが、もともとは、吉田勝 著『近江観音寺城 1 』 1970年刊に記載があるそうです。
吉田勝氏の『近江観音寺城 1 』とその資料編『近江観音寺城 2 』は、それほど厚みのある本ではありませんが、田中政三 著『まぼろしの観音寺城』に先立つ史料なので、興味があり古本屋で探しているのですが。。いまのところ入手できていません。
「佐佐木城址」は、『まぼろしの観音寺城』によると大正14年に地元の篤志家が建立したとのことですが、石碑裏面の刻字は、大正14年ではなく「大正四年十一月建之」になっています。
参考文献 は、「観音寺城投稿一覧」にまとめてあります。
観音寺城(8)に続きます。
2024年7月17日投稿