観音寺城 (7)

 

観音正寺・観音寺城 埋門

石塁内に開口部を設けた「埋門(うずみもん)」です。観音寺城・観音正寺では3か所で確認することができます。近世城郭の埋門は、秘密の・・・「隠門(かくれもん)」的のイメージがありますが、ここの場合、少なくとも設置場所はそういったところには見えません。

あと、埋門と直接関係するものではありませんが、「扉石」もここで扱います。

伝後藤邸 埋門

坊院群A(伝進藤・後藤邸)の、伝後藤邸最下段西辺の石塁にあります。板石の天井石が1枚残っていて、斜めに落ちています。
埋門の両壁高は1.3m、奥行きは1.7mです。床がこのレベルかどうかは不明ですが、大きく下がるようには見えません。後藤邸最下段西辺部の出入り口はここだけです。

伝後藤邸埋門
(1) 【伝後藤邸西辺 埋門】
道側から。2024年3月撮影。
伝後藤邸埋門
(2) 【伝後藤邸西辺 埋門】
坊院内側から。2024年3月撮影。
伝後藤邸埋門
(3) 伝後藤邸西辺 埋門】
(A)(C)道側から。(A)(C)2024年3月
(B)2022年12月撮影。

伝木村邸 埋門

伝木村邸は、観音寺城主要部がある繖山西尾根の東斜面中段にあります。城郭に関連する曲輪です。
埋門は、曲輪南辺の石塁にあります。この石塁は、伝池田丸南側下の「大石垣」に連なる観音寺城外郭ラインありますが、外郭ラインの石垣としては貧弱です。
埋門の両壁高は0.7~0.8m、奥行きは1.7mです。床がこのレベルかどうかは不明ですが、正直、出入り口としては狭すぎると思います。

伝木村邸埋門
(4) 【伝木村邸 埋門】
曲輪内から。
伝木村邸埋門
(5) 【伝木村邸 埋門】
(a)(b)(c)外から。(D)曲輪内から。

伝平井丸 埋門

伝平井丸は、中井均氏(2022年)が主殿(対面所)と推定する観音寺城では最も中心的な曲輪です。
正面(南辺)部の石垣(石塁)と門構えは、安土城以前としては他に例のない威容を誇る巨石積みです。
埋門は、その石垣(石塁)の正面右手にあります。2017年段階では天井石1枚が残っていましたが、現在はすべて落下しています。●●年前、10代のころには通り抜けた記憶があります。
埋門の両壁高は1.0~1.4m、奥行きは2.4~2.6mです。数値は、滋賀県教育委員会報告書(2012年)からの引用です。

伝平井丸
(6) 【伝平井丸 正面石垣】
伝平井丸埋門
(7) 【伝平井丸 埋門】
外から。
伝平井丸埋門
(8) 【伝平井丸 埋門】
(A)(C)外から、(B)(D)曲輪内から。(A)(B)2017年5月、(c)(D)2022年12月撮影

伝池田丸下無名曲輪 扉石

埋門とは直接関係ありませんが、伝池田丸東側下の無名曲輪(一部で扉石曲輪)に「扉石」と呼ばれる不思議な加工?石があります。長さ3mはあるでしょうか。2009年ごろに割れてしまったようです。くわしくはこちら
この扉石、もともとは2枚あったそうで、もう1枚は奧之院裏に運ばれ、現在ある「佐佐木城址」の標石として使われたとのことです。これは こちら からの情報ですが、もともとは、吉田勝 著『近江観音寺城 1 』 1970年刊に記載があるそうです。
吉田勝氏の『近江観音寺城 1 』とその資料編『近江観音寺城 2 』は、それほど厚みのある本ではありませんが、田中政三 著『まぼろしの観音寺城』に先立つ史料なので、興味があり古本屋で探しているのですが。。いまのところ入手できていません。
「佐佐木城址」は、『まぼろしの観音寺城』によると大正14年に地元の篤志家が建立したとのことですが、石碑裏面の刻字は、大正14年ではなく「大正四年十一月建之」になっています。

扉石
(9) 【伝池田丸下無名曲輪 扉石】
扉石曲輪
(10) 【伝池田丸下無名曲輪】
佐佐木城址
(11) 【佐佐木城址】
埋門図
【掲載写真位置図】

参考文献は、「観音寺城投稿一覧」にまとめてあります。

観音寺城(8)に続きます。


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