長崎台場 魚見岳台場 (3)

 

長崎台場 (3)
幕末の城 (5)
魚見岳台場 上ノ段 御石蔵と正面下石垣
(1)  【魚見岳台場 上ノ段 御石蔵と正面下石垣】
正面左側から。

魚見岳台場の遺構

魚見岳台場(うおみだけだいば)は、台場地区(三ノ増台場・二ノ増台場・一ノ増台場)と居住・管理地区に分かれています。
今回の投稿は、居住・管理地区です。居住・管理地区は「下ノ段」「中ノ段」「上ノ段」に分かれています。

魚見岳台場 全体図
(図1)  【魚見岳台場 全体図】
(長崎市教育委員会 2011年)からの転載、一部加筆。
下の段

二ノ増台場入口の石段Aを上り、正面石垣前の通路(腰曲輪)を左(東)側に進むと下ノ段です(写真2)。

魚見岳台場 二ノ増台場上段東側石垣と通路
(2)  【魚見岳台場 二ノ増台場上段東側石垣と通路】
奥に下ノ段。
魚見岳台場 下ノ段石垣と石段E
(3)  【魚見岳台場 下ノ段石垣と石段E】
魚見岳台場 下ノ段石垣と石段E・F
(4)  【魚見岳台場 下ノ段石垣と石段E・F】
(A)下ノ段石垣と石段E、(B)石段E、(C)石段F。

(写真3・4(A)(B))は、下ノ段の石垣と入口の石段Eです。
(写真4(C))は、下ノ段と二ノ増台場をつなぐ石段Fです。

魚見岳台場 下ノ段
(5)  【魚見岳台場 下ノ段全景】
中ノ段から。
魚見岳台場御台場図
(図2)  【魚見岳台場御台場図(『長崎台場細見絵図』収録)】
(九州歴史資料館 2018年)からの転載。建物と大砲が白く描かれています。

(写真5)は、中ノ段から見た下ノ段の全景です。
発掘調査によって2×4間の建物礎石2棟が発見され、絵図(図2)に描かれている「常住小屋(木屋)」(じょうじゅうごや/じょうじゅうきや)の存在が確認されました。「常住小屋」は、警備兵の駐在・生活用小屋です。他に道具小屋が1棟あったようです。

中ノ段

(写真6・7)は中ノ段です。
絵図には何も描かれておらず、用途未詳のエリアです。
下ノ段との間には、城郭(台場)らしからぬ幅の広い石段があります(写真6)。

魚見岳台場 中ノ段・上ノ段と石段G
(6)  【魚見岳台場 中ノ段・上ノ段と石段G】
下ノ段から。
魚見岳台場 中ノ段奥壁と湧水枡
(7)  【魚見岳台場 中ノ段奥壁と湧水枡】
(A)中ノ段奥壁、(B)(C)湧水枡(奥壁中央)。

奥壁中央直下(写真6(A))には、湧水枡(写真6(B)(C))があります。

下ノ段・上ノ段は、小さな谷の両岸を掘削して平場を普請しています。左右両壁は岩盤で、確認はできませんでしたが、矢穴やノミ跡があるそうです(長崎市教育委員会 2011年a)。石垣などの石材の切り出しも同時に行われていたようです。
中ノ段奥壁(写真7(A))は、奥壁中央部は谷を埋めV字形の範囲に石垣を築いているようです。現在苔生していて現地ではまったく気付かなかったのですが、報告書(長崎市教育委員会 2011年a)掲載写真を参考にすると、石垣範囲はこちらになります。苔と草の範囲に対応します。
奥壁はほぼ垂直で、崩れないのが不思議です。

湧水枡は、埋没谷の底にあることがわかります。
この湧水枡、はおそらく生活用水だと思いますが、枡の直径は記憶だと60cm程度で、大人数が日常使いをするには小さすぎると思いました。石段が手前にあったり、印象はまるで祭壇のようでした。それもまた台場には不自然ですが。
(図2)の絵図によると、上屋があった可能性がありそうです。

上ノ段 御石蔵

中ノ段奥壁上が上ノ段です。堅牢な石造りの「御石蔵」(写真1・9~12)が中央にあります。火薬庫です。
御石蔵は、現地解説板では「石造倉庫」になっていますが、報告書(長崎市教育委員会 2011年a)にしたがい「御石蔵」としておきます。おそらく、当時の史料・絵図にある名称なのでしょう。

(写真8(A))は、中ノ段奥壁上段(上ノ段直下)の石垣です。(写真8(B)(C))は、中ノ段と上ノ段をつなぐ石段Hです。

魚見岳台場 上ノ段下石垣と石段H
(8)  【魚見岳台場 上ノ段下石垣と石段H】
(A)上ノ段下石垣、(B)石段H(下から)、(C)石段H(上から)。
魚見岳台場 上ノ段 御石蔵
(9)  【魚見岳台場 上ノ段 御石蔵】
正面右側から。

上ノ段は、コ字形の区画中央に御石蔵があります(写真10(A))。区画周囲には石垣が築かれています。

御石蔵は、平面3.5×3.7mの切石造りの平屋建物です。石屋根の上に瓦が葺かれていたようで、一部が残っています(写真10他)。
内部は、切石積みの継ぎ目に漆喰が確認できます(写真12)。天井の桁兼用棟木は巨石です(写真12)。
建物周囲には、暴発に備えて石垣(擁壁)が築かれています(写真10他)。
御石蔵周囲の石垣は一部崩れていますが、建物本体は良く残っています。史跡整備などの修理歴はないようなので当時のままです。

魚見岳台場 上ノ段 御石蔵
(10)  【魚見岳台場 上ノ段 御石蔵】
(A)西側上部から、(B)正面左側石垣(擁壁)、(C)御石蔵後側の石垣(擁壁)と背後の石垣。
魚見岳台場 上ノ段 御石蔵
(11)  【魚見岳台場 上ノ段 御石蔵】
御石蔵後側の石垣(擁壁)。
魚見岳台場 上ノ段 御石蔵
(12)  【魚見岳台場 上ノ段 御石蔵】
(A)(B)御石蔵正面、(C)入口、扉設置部。
魚見岳台場 上ノ段 御石蔵
(13)  【魚見岳台場 上ノ段 御石蔵内部】
天井に桁兼用棟木の巨石、石積みの継ぎ目に漆喰。

長崎台場の大砲や弾丸・火薬は、文化5年(1808年)のフェートン号事件以前(「古台場」)の平時には、長崎警備の拠点であった西泊と戸町の番所(陣屋)でまとめて収蔵・管理していました。
フェートン号事件後の「新台場」「増台場」の時期から、各台場に常備されるようになり、火薬庫である御石蔵が築かれたようです。

現在、魚見岳台場と女神台場(長崎市教育委員会 2017年)で御石蔵が確認されています。女神台場は「古台場」ですが、「新台場」が増設された時期に御石蔵も築かれたようです。

掲載写真撮影位置図
(図3)  【掲載写真撮影位置図】
(動画)  【長崎台場 魚見岳台場】

今回は、おもに
・長崎市教育委員会『国指定史跡長崎台場群魚見岳台場跡保存管理計画書』2011年a
を参考にさせてもらいました。

魚見岳台場、終わりです。

参考文献は「幕末の城投稿一覧」にまとめてあります。

魚見岳台場2024年4月現地、2026年8月31日投稿。