金岬・槇山砲台 (2)
舞鶴要塞・舞鶴鎮守府 (3)


背景図はカシミール3Dで作成。
金岬砲台の履歴
金岬(かながさき)砲台は、陸軍築城部本部 『現代本邦築城史』(陸軍築城部本部 1943年)の附表2-1「舞鶴要塞堡塁砲台履歴」に以下の通り記録されています。
【任務】 前面一帯ノ海面ヲ射撃シ 軍港二近接若ハ侵入セントスル敵艦ヲ防止ス。而シテ其ノ軽砲ノ一部ハ神崎村及由良村付近ヲ射撃シ 他ノ一部ハ湾口ヲ射撃シ 此ノ両方面ヨリスル敵ノ企図ヲ防止ス。
陸軍築城部本部 『現代本邦築城史』第二部 第五巻 舞鶴要塞築城史 1943年 (国立国会図書館デジタルコレクション所蔵)
【兵備】
・克式三十五口径中心軸二十一糎加農砲(4座4門)、標高213.25m
・克式三十五口径前心軸十五糎加農砲(2座4門)、標高199.00m、207.00m
【起工】明治31年(1898年)7月20日
【竣工】明治33年(1900年)7月19日
【移動・廃止・除籍】
・大正8年(1912年)、要塞整理要領により二十一糎加農砲四門を兵備表より取除。
・昭和8年(19233年)、修正計画要領にて本砲台は全部兵備表より取除(火砲は予備残置)。
・昭和10年(1935年)9月、陸蜜第693号にて全部除籍。
・昭和16年(1941年)、備砲撤去。
備砲の克式三十五口径中心軸二十一糎加農砲は、ドイツのクルップ社製です。日清戦争時に旅順口模珠礁砲台、大連湾黄口砲台から鹵獲(ろかく)した戦利品で、金岬と由良要塞成山第一砲台(兵庫県洲本市)に設置されました。金岬砲台のものは、昭和10年に舞鶴要塞の新砲台、新井崎砲台に移転・再配備されました。
金岬砲台の施設
金岬砲台の施設は、砲座、砲側庫(砲側弾薬庫)、五連の棲息掩蔽部(せいそくえんぺいぶ)(兵舎など)、観測所、指揮所、貯水所が遺存しています。

(角田誠 2011年)掲載図をもとに一部加筆させてもらいました。
建物については、4ないし5棟の基礎があり、下記史料によると、以下の建物がありました。
弾廠、炸薬填実所、装薬調整所、厠圊(厠)、監守衛舎、砲具庫
・「金岬砲台及吉坂堡塁防禦営造物除籍に関する件」昭和10年(Ref No.C01006639200 アジア歴史資料センター)
・「舞鶴要塞金岬砲台砲具庫管轄換及除籍の件」昭和10年(Ref No.C01006624900 アジア歴史資料センター)
国立公文書館アジア歴史資料センターのリンクは こちら
入口部分の建物No.1は監守衛舎(かんしゅえいしゃ)、建物No.3は基礎構造からは厠です。他施設から隔離された場所にある建物No.4が弾廠(だんしょう)ないし炸薬填実所(さくやくてんじつしょ)・装薬調整所(そうやくちょうせいじょ)になると思います。
弾廠・炸薬填実所・装薬調整所は、弾丸に爆薬・火薬を詰める作業をする場所で、この作業は各砲台で行われました。
「炸薬」は目標地点で爆発(炸裂)させるために用いる「爆薬」、「装薬」は薬室に詰めて弾丸の発射に用いる「火薬」です。
建物No.2・5は、砲具庫と弾廠・炸薬填実所・装薬調整所のいずれかでしょうか。
なお、角田誠氏(角田 2011年)、スイカさん(スイカ 2021年)は、建物No.2を認めておらず、建物No.5を砲具庫としています。建物No.2は私も写真を撮っていませんでした。動画では、L字の縁石が確認できます。
監守衛舎

北側の竈(カマド)と円形の蓋石。 (C)奥に貯水所。
貯水所

(B)丸井戸(貯水槽)、(C)三点濾過槽。
左翼砲座


克式三十五口径前心軸十五糎加農砲2門の砲座です。正面の胸墻(きょうしょう)は直線的で2か所の半円状凹部があります。その手前に砲の旋回軸が設置されていました。胸墻と側壁の横墻(おうしょう)にある方形の凹みは「弾室」です。
左翼砲側庫

奥は五連式棲息掩蔽部。

(A)(B) アーチ状の天井「穹窿(きゅうりゅう)」はコンクリート製、脚壁(側壁)・奥壁は煉瓦。全体に漆喰が塗られる。(C)(D)は通気口。
掩蔽部(えんぺいぶ)は、砲側庫・五連式棲息掩蔽部とも、かまぼこ型(ヴォールト)天井で、内部は穹窿(きゅうりゅう)(天井アーチ)が無筋コンクリート、脚壁(側壁)・奥壁・前壁は煉瓦で漆喰塗装です。前壁正面は黒褐色の「焼過(やきすぎ)煉瓦で、入口上部や窓の上下には、陸軍好みの御影石(花崗岩)が使用されています。
五連式棲息掩蔽部
おもに、兵舎などとして使用されていた施設です。




3号室から1号室方向。



5号室前から。
厠

南西側から。


(A)(B)大便槽。(C)(D)は北東側から。
(写真16)の左が小便槽(溝)、右が大便槽です。(写真17(D))は汲み取り口でしょうか。
弾廠

炸薬填実所・装薬調整所の可能性。
炸薬填実所・装薬調整所の可能性、またはこれらが弾廠と一体となっていた可能性もあります。
写真撮影位置図は こちら
参考文献・webサイトは、「舞鶴要塞・舞鶴鎮守府 投稿一覧」にまとめてあります。
2023年11月現地、2025年7月7日投稿。