舞鶴 第三海軍火薬廠 (6)

 

舞鶴要塞・舞鶴鎮守府 (13)
検査場地区 爆薬庫・炸薬庫他
第三海軍火薬廠検査場地区 爆薬庫
(1)  【検査場地区 爆薬庫】

検査場(鋳造成形工場)

第三海軍火薬廠朝来工場第二製造部、検査場(鋳造成形工場)です。
検査場地区は、砲熕谷(ほこだに)の東隣の支谷になります。(関本長三郎 2005年)では、地区名称を「検査場(鋳造成形工場)」としていて、ここではそれに従います。砲熕谷の「第22工場」のような工場番号は不明です。
谷口側が炸薬完成検査場で、谷奥が炸薬鋳造成形場になると思われます。

第三海軍火薬廠朝来工場第二製造部A-H
(図1)  【第三海軍火薬廠朝来工場第二製造部 施設配置図】
背景図は、左側が舞鶴市都市計画図、右側が国土地理院図を使用。赤字A~Hは鋳造成形場関連造成地。
検査場

構造物としては、コンクリート橋、煉瓦建物、建物外周基礎です。他に、水槽が橋の付近にあったと思います。
本谷から検査場の支谷に入ると、コンクリート橋(写真2・3)があります。第三海軍火薬廠で確認した橋の欄干(手摺)は、いずれもこうした鉄管パイプ製でした。

第三海軍火薬廠検査場地区
(2)  【検査場地区 橋】
第三海軍火薬廠検査場地区 橋
(3)  【検査場地区 橋】
第三海軍火薬廠検査場地区 哨舎
(4)  【検査場地区 煉瓦建物(哨舎)】

橋を渡ると左手に煉瓦建物があります(写真4)。ほぼ同じものは乾燥谷(次々回投稿)にもあります。
引渡目録添付図面(※)では、この場所に2~3棟の小規模な建物があり、「自転車置場」が判読できます。あと「便所」もこの2~3棟の内の1棟を指している可能性があります。ただし、この煉瓦建物は、これだけで完結していると考えられることから、「自転車置場」「便所」ではありません。
ここでは、「哨舎(しょうしゃ)」を想定してみました。「哨舎」とは警戒や見回り役の兵隊である歩哨(ほしょう)が詰める見張り所です。「歩哨舎(ほしょうしゃ)」「立哨台(りっしょうだい)」などとも呼ばれ、こちらの名古屋陸軍兵器補給廠関ケ原分廠(関ヶ原玉の火薬庫)(岐阜県関ヶ原町)(リンク写真(A))や網走監獄(北海道網走市)(リンク写真(B))のような構造が一般的です。(写真4)のような簡単な構造の煉瓦建物は他では確認できませんでした。
ただ、引渡目録添付図面(※)をもとにした(牧野雅司・毛利聡・今村友里子・朝倉槙人 2022年)(施設図1-1)によると砲熕谷の入口付近に「守哨」の名称があります。また、引渡目録施設一覧(※)には、No.66に「哨所」があり、工場全体で9棟で総面積36㎡(1棟4㎡)とのことで、この煉瓦建物に対応する可能性がありそうです。ただ、一覧の「哨所」は「木造平家」になっていて、その点が合致しないのと、設置場所が道路から奥すぎるようにも思えます。

第三海軍火薬廠検査場地区 検査場
(5)  【検査場地区 検査場】

「検査場」は「哨舎」のすぐ奥、道沿いにあります(写真5)。木造建物の外周基礎(布基礎)のみ残っています。

第三海軍火薬廠検査場地区
(6)  【検査場地区 炸薬庫入口】
第三海軍火薬廠検査場地区
(7)  【検査場地区 炸薬庫(南)】
右側の基礎は出入口の庇か。

検査場に付属して「炸薬庫」が2か所にあります。(写真6・7)は南西側の炸薬庫です。くわしくは動画を参考にしてください。
(写真8(A))は、北東側の炸薬庫区画の入口付近です。
どちらも谷奥(谷頭)を掘削拡張して用地としていることから、現状は湧水でズブズブの沼状態です。とくに北東側の炸薬庫は入っていけませんでした。

鋳造成形工場

引渡目録添付図面(※)、(千藤三千造 1967年)、(関本長三郎2005年)の施設配置図では、北東側の炸薬庫入口から谷奥に向かって道路両側に8か所ほどの区画(図1 A~H)が描かれています。(図1)はそれに合わせましたが、実際には北西側の台地斜面部は、造成地が数段になるところもあります。動画を参考にしてください。

第三海軍火薬廠検査場地区 造成地
(8)  【検査場地区】(A)炸薬庫(北)入口付近、(B)(C)(D)造成地と区画土塁。

(千藤三千造 1967年)図では、いずれの区画も「鋳造成形場」となっていますが、(関本長三郎2005年)では、「成形品乾燥場」「成形品(置)場」「粉薬一時置場」「秤量場」、引渡目録では、「(仕上)場」「溶□□□□」「(砕)薬粉砕場」「粉薬一時置場」「秤量場」などがなんとか判読できます。 (サークル花粉航海+猫棒舎 2012年)では「溶酸破砕場」となっていますが、おそらく「溶酸」はないと思います。
このエリアは、上記の施設名から、塊状になっている爆薬を、
 粉砕 ⇒ 溶解 ⇒ 鋳型成形 ⇒ 乾燥 
するための施設を中心とすると考えておきます。なお、爆薬の多くは、粉末ではなく、常温で樹脂の塊になっているようです。

「炸薬成形場」ということでは、前回、前々回と紹介した砲熕谷と空水谷の工場と同じですが、このエリアは、砲熕谷・空水谷と違って建物は木造で、建物も比較的密集していて、建物間の土塁も高くはありません(写真8(B)(C)(D))。ただ、引渡目録施設一覧(※)によると、炸薬成形場は「鉄造コンクリート」8棟の他に「木造平家」が11棟あり、建造時期もほぼ同じです。同じ炸薬成形場でも、兵器の種類や扱う爆薬の種類が違うということでしょうか。そのあたりは不明です。

(写真8(B)(C)(D))は、A区画(図1)周辺です。引渡目録添付図面(※)では「(仕上)場」、(千藤三千造 1967年)では「鋳造成形場」、(関本長三郎2005年)では「成形品乾燥場」になっています。

※『施設ノ部』第三海軍火薬廠引渡目録 昭和20年9月1日 (防衛省防衛研究所)(Ref. C08011034100 アジア歴史資料センター)

爆薬庫

(写真9~13)は「爆薬庫」です。砲熕谷と同じように、谷の最深部にあります。
手前には土塁が築かれています(写真9)。掘り残し土塁かもしれません。

第三海軍火薬廠検査場地区 爆薬庫・土塁
(9)  【検査場地区 爆薬庫・土塁】

扉・窓はすべて鉄製です。周囲は泥田状態でしたが、内部はなんとか水没を免れていました(写真13)。

第三海軍火薬廠は、戦後アメリカ軍が接収し、爆薬庫は、1950年から1960年までアメリカ進駐軍が爆薬置場として、その後、1966年まで陸上自衛隊が引き継いで使用していました。陸上自衛隊が何を保管していたかは不明。
内部は板張りの内装があり、天井には笠付の電燈が付いています。内装はアメリカ軍ないし自衛隊時代のものでしょうか(写真13)。

外壁には迷彩塗装の痕跡が残っています。迷彩塗装は旧日本軍でも一般的に見られるものですが、実際に残っている構造物はそれほど多くはないと思います。こちらは、東京湾要塞三軒家砲台(神奈川県横須賀市)の砲座胸墻の迷彩塗装です。第三海軍火薬廠より古く明治 29 年(1896年)の完成です。
No.「411」のペイントについては戦後のアメリカ軍時代のもののようです。

第三海軍火薬廠検査場地区 爆薬庫
(10)  【検査場地区 爆薬庫】
第三海軍火薬廠検査場地区 爆薬庫
(11)  【検査場地区 爆薬庫】
第三海軍火薬廠検査場地区 爆薬庫
(12)  【検査場地区 爆薬庫出入口】
第三海軍火薬廠検査場地区 爆薬庫
(13)  【検査場地区 爆薬庫内部】

撮影位置はこちら です。

(動画)  【第三海軍火薬廠 検査場(鋳造成形工場)・爆薬庫】

2023年3月、2023年11月、2024年3月現地、2026年2月5日投稿。