舞鶴要塞・舞鶴鎮守府 (14)
向砲熕谷第23工場 砲炸薬成形工場と未完成地区隧道群

外側から。
向砲熕谷(第23工場)
第三海軍火薬廠朝来工場第二製造部、向砲熕谷(むかいほこだに)(第23工場)です。
向砲熕谷は、本谷(朝来谷)をはさんで砲熕谷の南側対岸の支谷になります。
谷の入口に公誠動物霊園があり、立ち入りについて確認しようと思ったのですが、あいにく不在だったため、谷の入口西側の区画のみの探索としました。

背景図は、左側が舞鶴市都市計画図、右側が国土地理院図を使用。
砲熕谷など第二製造部の各谷は、工場群の間に谷を横方向に遮断する防爆土塁を築いていますが、向砲熕谷は谷幅が広いためか、縦・横の箱形(コ字状)に土塁を築いています。

(A)(B)外側から、(C)内側から。
(関本長三郎 2005年)によると、弾丸(砲弾)炸薬の鋳造成形が行われていたとのこと。ただし、(千藤三千造 1967年)掲載図では、空水炸薬の成形場になっています。「空」とは爆弾、「水」とは魚雷の意味で、爆弾や魚雷の炸薬成形場になります。
(関本長三郎 2005年)掲載図によると、谷口側から「紙筒工場」、「仕上場」、「切(断)場」、「鋳造場」2棟、「秤量場」、「破砕場」が並び、最深部に「粉薬一時置場」、鋳造場の対岸に「半製品一時置場」があります。「粉薬一時置場」は、隧道式ないし覆土式の規模の大きなもののようです。古いYouTubeを探すと出てきます。
同じ炸薬成形場でも、向砲熕谷の施設構造・施設内容は、過去紹介した砲熕谷(第22工場)、空水谷(第22工場)とはまったく異なっていますが、検査場奥の鋳造成形工場とは施設名称に一致点があります。各地区の違いは、兵器の種類なのか、爆薬の違いなのかは不明です。

(C)加湿送風場の一部か。

(A)(B)外側から、(C)内側から。
(写真2~4)は、「仕上場」です。
土塁の入口は南北2か所あり、北口(写真2)は隧道、南口(写真4)は石垣をともなう切通です。
建物は、外周基礎(布基礎)のみです(写真3)。
建物の南西隅に、「加湿送風場」があることになっているのですが、(写真3(C))の切石がその一部でしょうか。
未完成地区
検査場(鋳造成形工場)の東隣の支谷になります。(関本長三郎 2005年)などに、地区名称の記載はありません。

(C)乾燥谷南側幹道。
(写真5・6)は、本谷(朝来谷)の未完成地区支谷の入口付近です。(写真5)は、次回投稿する乾燥谷(第25工場)の盛土です。(写真5(C))は乾燥谷(第25工場)南側の幹道、 (写真6)は、幹道部分のコンクリート橋で、欄干(手摺)は検査場のコンクリート橋と同じ鉄管パイプ製です。このあたりの様子は、動画をご覧下さい。


(写真7)は、長辺が5m以上ある水槽です。
水槽の西側には、更衣洗身場、会食場、便所などがありました。火薬がもとで皮膚がかぶれたり髪の毛が変色したりする被災者が多かったようで、一応洗身場が各所につくられたようです。藪の中に建物基礎が確認できます。この水槽は、場所的に風呂ではないと思いますが、関係する貯水槽かもしれません。
未完成地区は、途中2か所に隧道(1号・2号)をともなう防爆土塁が築かれています。

谷口側から。
1号隧道(写真8・9)と2号隧道(写真12・13)の間は、中間にある土塁で2区画に造成されていて(写真10)、手前側には、建物の外周基礎(布基礎)が残っています(写真11(A)(B))。(千藤三千造 1967年)では「爆薬庫」になっていますが、(関本長三郎 2005年)では「仮爆薬庫」になっています。おそらく、本来は炸薬成形場の予定だったと思います。
(写真11(C))は不明。中間の土塁際にありました。それほど大きなものではありません。
2号隧道から奥は、谷底について造成が行われていますが、未完成のままだと思います(写真14)。

(A)谷口側から、(B)(C)谷奥側から、(C)左側爆薬庫。

(A) 1号隧道から、(B)区画内から1号隧道(正面奥)側。右側は中間土塁。


谷口側から。

谷奥側から。

正面奥2号隧道。
撮影位置はこちら です。
第三海軍火薬廠、続きます。
参考文献・webサイトは、「舞鶴要塞・舞鶴鎮守府投稿一覧」にまとめてあります。
2023年3月、2023年11月、2024年3月現地、2026年2月19日投稿。
