舞鶴 第三海軍火薬廠 (8)

 

舞鶴要塞・舞鶴鎮守府 (15)
乾燥谷の爆薬乾燥場 (1)

乾燥谷(第25工場)

京都府舞鶴市(旧朝来村)第三海軍火薬廠朝来工場第二製造部、乾燥谷(第25工場)の爆薬乾燥場の紹介です。朝来谷最深部にあり、通称乾燥谷、長内谷とも呼ばれていたようです。第一製造部で製造した爆薬の乾燥(水分調整)が行われていた施設群です。

第三海軍火薬廠朝来工場第二製造部
(図1)  【第三海軍火薬廠朝来工場第二製造部 施設配置図】
背景図は、左側が舞鶴市都市計画図、右側が国土地理院図を使用。
第三海軍火薬廠朝来工場第二製造部乾燥谷
(図2)  【第三海軍火薬廠朝来工場第二製造部 乾燥谷周辺施設配置図】
背景図は、国土地理院図(カシミール3D)を使用。
第三海軍火薬廠(乾燥谷周辺)空中写真
(1)  【第三海軍火薬廠 乾燥谷周辺空中写真】
国土地理院地図・空中写真閲覧サービスから。1975年12月3日撮影。この段階では、汽缶場(ボイラー室)も残っていたようで、長い煙突の影も見えます。
乾燥谷第25工場西端工場用地盛土状況。
(2)  【乾燥谷第25工場西端】
工場用地盛土状況。
乾燥谷第25工場南側幹道
(3)  【乾燥谷第25工場南側幹道】
(B)(右)幹道、(中央)盛土面、(左)土塁、(C)(左)盛土部分。

乾燥谷(第25工場)は、谷底に谷口側西端で3~5mの盛土をして用地を造成し(写真2)、南側に道路(幹道)(写真3)を設けています。
乾燥谷(第25工場)全体で爆薬乾燥関連施設3区画と倉庫等1区画の計4区画があり、ここでは各区画を、乾燥谷1~4区と呼んでおきます(図2)。

今回は、全体の施設概要と乾燥谷1・2区の紹介です。

乾燥谷1区

乾燥谷1区の中心施設は(写真4・5)の大型木造建物です。建物基礎のみ残っています。引渡目録添付図面(※)では「乾燥場倉庫」になっています。(関本長三郎 2005年)掲載図の註書きは不鮮明ですが「乾燥場器具庫」に見えます。ただ、倉庫にしては、乾燥谷1区が盛土周囲の幹道と接続していないのが不思議ではあります。
倉庫は、南北で基礎の状況が異なってます。北側は束柱の礎石が全体に並ぶ総柱で(写真5(A))、南側は外周の布基礎のみです。北側は板張り床だったと推定されます。
(写真5(C))の方形の囲いは、建物の内外にあります。用途は不明。

乾燥谷1区 乾燥場倉庫基礎
(4)  【乾燥谷 1区 乾燥場倉庫基礎】
手前北側は総柱礎石、南側は外周基礎のみ。
乾燥谷1区 乾燥場倉庫基礎
(5)  【乾燥谷 1区 乾燥場倉庫基礎】

(写真6)は水槽です。各区それぞれ幹道沿いにあります。関連しそうな施設が近くにないので、雨水を溜めた防火用貯水槽でしょうか。

乾燥谷1区 水槽
(6)  【乾燥谷 1区 水槽】
乾燥谷1区 哨舎
(7)  【乾燥谷 1区 哨舎】
(背後)2区乾燥爆薬置場土塁a。

(写真7)は前々回の投稿で「哨舎(しょうしゃ)」としたものとほぼ同型です。ただ、場所的にここに見張り所が必要なのか疑問は残ります。なお、内部の棚は後付けです。背後は2区の乾燥爆薬置場土塁aです。

哨舎の並びには、便所と不明建物基礎があります(写真8)。不明建物は、引渡目録添付図面(※)の註書きでは「電動□置場」に見えますが不鮮明です。

乾燥谷1区 建物基礎不明建物便所(便槽)
(8)  【乾燥谷 1区 建物基礎】
(A)不明建物、(B)(C)便所(便槽)。

乾燥谷2区

爆薬乾燥関連3区画(2~4区)は、防爆土塁をともなう「乾燥爆薬置場」3棟(3区画)と「爆薬乾燥場」1棟、爆薬庫と推定される「爆薬乾燥場付属建物」1棟、「加湿送風場」1棟がセットとなり、 水槽、便所などが付属します。
3・4区については、昭和28年(1953年)の台風13号にともなう土石流やその後の砂防工事のよるものか、埋没したり削平されてしまった施設が多いようですが、2区については、当時の状況が比較的良く残っています。

乾燥爆薬置場周辺

「乾燥爆薬置場」は、コ字を組み合わせたような土塁の区画内にありました。土塁区画はA~C区の3区画(図2模式図)で、(写真10)が置場A区、(写真11(B))が置場B区、(写真11(A))が置場C区になります。

乾燥谷2区 乾燥爆薬置場土塁a
(9)  【乾燥谷2区 乾燥爆薬置場土塁a】
乾燥谷 1区側から。置場・土塁No.は(図2模式図)参照。
乾燥谷2区 乾燥爆薬置場A区・外周防爆土塁
(10)  【乾燥谷2区 乾燥爆薬置場A区・外周防爆土塁】
(A)(左)土塁a、(正面)土塁d、(B)(C)置場A区出入口、(C)(左)土塁d、(奥)土塁e。置場・土塁No.は(図2模式図)参照。
乾燥谷2区 乾燥爆薬置場BC区
(11)  【乾燥谷2区 乾燥爆薬置場】
(A)置場C区、(右)土塁e、(B)置場B区、(左)土塁d、(C)北側溝。

土塁区画A~C区それぞれに乾燥爆薬置場があったようですが、乾燥谷2区では現存しません。ただ、1975年12月3日撮影の空中写真(写真1)では3棟とも確認できます。置場B区の建物は次回投稿する乾燥谷3区の建物とおそらく同じで、置場A・C区の建物については、これより小規模に見えます。

乾燥谷2区 乾燥爆薬置場前水槽
(12)  【乾燥谷2区 乾燥爆薬置場前水槽】
(左)土塁c、(奥)土塁d、(右)土塁e・f。
乾燥谷2区 乾燥爆薬置場土塁f前便所
(13)  【乾燥谷2区 乾燥爆薬置場土塁f前便所】
(A)(右)小、(左)大、(B)(手前)便槽、(C)大用区画。

(図12)は防火水槽でしょうか。いずれも2区画になっています。
(図13)は便所で、大用小用の区画と便槽があります。
(図13(A))の便所の奥には2棟分の木造建物の基礎があり、手前は不明、奥は「加湿送風場」のようです。近くには陶器製(常滑か)の大甕が埋置されています(写真15(C))。
加湿送風場の「加湿」は、乾燥場とは真逆だと思うのですが、爆薬の水分調整のためということでしょうか。

爆薬乾燥場周辺

(図14~19)は「爆薬乾燥場」です。

乾燥谷2区 爆薬乾燥場
(14)  【乾燥谷2区 爆薬乾燥場】
乾燥谷2区 爆薬乾燥場
(15)  【乾燥谷2区 爆薬乾燥場】
(A)南西隅部出入口付近、(B)南西隅部出入口木造上屋基礎、(C) 爆薬乾燥場西側加湿送風場付近、(手前)常滑?大甕。
乾燥谷2区 爆薬乾燥場
(16)  【乾燥谷2区 爆薬乾燥場】
(B)南東隅部出入口付近、(C)東壁。
乾燥谷2区 爆薬乾燥場部分
(17)  【乾燥谷2区 爆薬乾燥場】
(A)(B)窓、(C)ダクト、(D)出入口戸(扉)。
乾燥谷2区 爆薬乾燥場煉瓦積み
(18)  【煉瓦積み】
(A)2区爆薬乾燥場、(B)4区爆薬乾燥場。

建物平面は長方形で、長辺側(南北側)が煉瓦造りで窓があるのに対して、短辺側(東西側)はベタのコンクリート壁です(写真15(B)(C))(写真16(C))。
煉瓦積みは(写真18)、煉瓦の小口が並ぶ段と長手が並ぶ段が上下に交互となるイギリス積みが基本ですが、長さ調整なのか、(写真18(A))のように、一部長手と小口が交互に並ぶ段があります。
窓はガラスですが(写真17(B))、乾燥谷4区爆薬乾燥場では、ガラス窓の外側に鉄板戸(扉)が残っていました。
出入口は長辺側四隅それぞれにあり(写真15(A)(B))(写真16(C))(写真17(D))にあり、東側、西側とも南北2か所の出入口をつなぐように木造の上屋があったようで、現在はその基礎が残っています(写真15(B))。(図2)の破線部分が木造部分で、木造部を含む本来の建物の平面形状はH字形になるようです

乾燥谷2区 爆薬乾燥場内部
(19)  【乾燥谷2区 爆薬乾燥場内部】
天井にダクトと天窓、床に排水溝。腰壁にタール状の樹脂系塗料。

内部は、出入口に合わせて4部屋に分割されていますが、内部に通路(扉)はありません。出入口と窓が各部屋一方向しかないのは、爆発が発生してしまった場合、爆風を一方に抜けるようにして被害を抑えるための工夫です。なお、天井には各部屋4か所に小さな天窓がありました。
各部屋には、天井側にダクトが、床に排水溝がありました(写真19)。ダクトは加湿送風場とつながっていたのか、それとも乾燥谷(第25工場)西隣にあった汽缶場(写真1)まで延びていたのか、乾燥といっても、具体的にどういった作業が行われていたのかは不明です。

乾燥谷2区 爆薬乾燥場付属建物
(20)  【乾燥谷2区 爆薬乾燥場付属建物(爆薬庫)】
乾燥谷2区 爆薬乾燥場付属建物内部
(21) 【乾燥谷2区 爆薬乾燥場付属建物(爆薬庫)】
(A)内部、(B)(C)扉付近。

(図20・21)は、爆薬乾燥場の南東部側にある付属建物です。爆薬庫のような構造ですが、用途、名称は不明です。

撮影位置はこちら です。

(動画)  【第三海軍火薬廠 乾燥谷(第25工場)(1)】

なお、今回掲載していませんが、(関本長三郎2005年)図の乾燥谷は、土塁や施設の配置図が現状や引渡目録添付図面(※)と合わない部分がかなり多いように見ます。

※『施設ノ部』第三海軍火薬廠引渡目録 昭和20年9月1日 (防衛省防衛研究所)(Ref. C08011034100 アジア歴史資料センター)

2023年3月、2023年11月、2024年3月現地、2026年2月20日投稿。