東京湾要塞(5)
第三海堡
第三海堡(かいほう)は、神奈川県横須賀市走水(はしりみず)沖に築かれた巨大海上要塞です。大正10年(1921年)8月に完成しましたが、大正12年(1923年)9月1日の関東大震災によって壊滅的な被害をうけました。
第三海堡築城
第三海堡の建設工事は、明治25年(1892年)に捨石の投下から始まりました。水深39mの人工島は、当時世界的にも例がなく、最初から最後まで波浪との戦いだったようです。
捨石の上に割栗石を積み、満潮面上はコンクリートで固めてドーナツ状の堤防を築き、内部に砂利・砂を投入して人工島を築造しましたが、工事は難航し、高波で防波堤が度々破損し、明治40年(1907年)の人工島の竣工までに18年を費やしました。ここまでの工事費だけで、249万円(約140億円)に達しました。これは第一海堡の約6.5倍、第二海堡の約3倍の額でした。
その後も高波による被害が続き、上部構造物の着工は大正3年(1914年)、そして、29年を費やし、大正10年(1921年)3月に竣工しました。
関東大震災
完成のわずか2年後の大正12年(1923年)9月1日、関東大震災により第三海堡は基礎が崩壊し、全体が約4.8m沈下。護岸・防波堤はすべて崩壊し、内部の充填土砂が流失して全体の約1/3が水没。壁体構造物のほぼすべてが水没・浸水してしまいました。
復旧の目処は立たず、放棄されることになりました。
前回もふれましたが。震災被害も悲劇ですが、起工からの29年間の歳月はあまりにも長く残酷で、その間の火砲の進化によって、完成時には第三海堡の存在意義は要した国費に見合うものではありませんでした。第二海堡・第三海堡と同時期に計画・築城された海岸砲台のほとんどは大正期に整理対象となっていました。
第三海堡の計画段階の備砲は、砲塔加農砲を中心としたものでしたが、実際の備砲は、水雷側防や水雷艇など小艦艇掃射を目的とした速射加農砲が中心でした。役割・目的を変えて存在意義を見出そうとしましたが、震災被害が引き際となり除籍となりました。
戦後の第三海堡
戦後は良い漁場となっていたようですが、1974年から2000年までの間で、東京湾口で発生した海難事故15件のうち11件が暗礁化した第三海堡絡みというとで、国土交通省が2000年から2008年に第三海堡の撤去作業を行いました。現状では水深23mが確保されているとのことです。
第三海堡本体はすでに存在しませんが、遺構の一部が、横須賀市夏島都市緑地公園(夏島町)と、うみかぜ公園(平成町)に移築保存されています。
夏島都市緑地公園(神奈川県横須賀市夏島町2-26)
専用の駐車場はありませんが、隣接の貝山緑地に無料駐車場があります。ただ、行き止まりの広い道なので、路駐が可能だと思います。
うみかぜ公園(神奈川県横須賀市平成町3丁目)
公園は無料ですが、駐車場は有料になります。
両方ともフェンスの外からの見学になりますが、緑地公園の遺構については、「NPO法人アクションおっぱま」さんにより、毎月第一日曜日(原則)に公開されています。建物内も入ることができるようです。
「おっぱま」さんは貝山地下壕の見学なども主催しています。くわしくはwebサイトで確認してください。
参考にした文献などは、東京湾要塞(1)に掲載しています。
東京湾要塞(6)につづきます。