一乗谷朝倉氏遺跡 (9)
朝倉氏の城郭 (16)

堀切群
一乗谷の外郭(惣構)を形成していた、一乗谷左岸山域の「御立山砦(堀切群)」です。

(川越光洋・石川美咲 2020年)掲載図を背景図として加筆させてもらいました。

御立山山頂付近
一乗谷左岸山域、「御立山」は標高296.9m地点をピークとします。そのすぐ北側にあるのが堀切ア・イ・ウです。山頂部との比高差はほとんどありませんが、山頂部の前後ではなく上城戸に接続する支尾根と主稜線の分岐地点に開削されています。このことは、一乗谷の外郭ラインの存在を証明するものと考えます。



(B)右側土橋。

この地点では、堀切ア・イ間が見張り台的な場所であったと推定されます。
ただ、御立山砦全体に言えることですが、曲輪としての平坦部の普請は甘く、土塁や虎口などの上部構造物は認められません。堀切によって尾根を切断しているだけのように見えます。
堀切そのものは巨大です。堀切ウは谷頭を利用しているようにも見えますが、堀切イ・ウの規模は、数値は不明ながら、一乗谷城を含む一乗谷朝倉氏遺跡の中でも最大クラスだと思います。
堀切アは、堀切中央に土橋を、堀切イ・ウについては、一乗谷側(東側)を掘り残して土橋にしています。
一乗谷では、中央に土橋をもつ堀切が目立ちます。土橋といっても、一乗谷城では、堀切左右の畝状空堀と連続していて、切岸・堀底の横移動を制限する障壁の機能が主であったと考えています。
東郷槙山城側西尾根
堀切キ・ク・ケは登山道(遊歩道)によって破壊されています。堀切ク・ケはどちらか一条しか確認できませんでした。いずれも小規模です。

(A)東郷槙山城側西尾根眺望、(B)(C)堀切キ、(D)堀切クないしケ。

西尾根の根元を切断する堀切カは、それなりの規模をもっています。堀切上部主稜線上の古墳群に曲輪的な機能をもたせていたのではないかと思いました。ただし、堀切カも中央部を登山道によって破壊されています。
御立山山頂側の鞍部付近には堀切オがあります。何条かあった記憶があるのですが、写真、動画を見てもハッキリしません。

(A)堀切オ、(B)(C)古墳群。
八地谷上部付近主稜線
堀切コ・サは、登山道(遊歩道)によって破壊されており痕跡程度です。もともと堀切ア・イ・ウのような規模はなかったと思います。

(A)(B)堀切コ、(C)(D)堀切サ。
見ての通り曲輪部分は未整備で、これらの遺構群が外郭(惣構)として恒常的に維持・管理されていたとは考えにくい状況です。当初、非常時を想定した防衛ラインとしての認識(計画)はあったと思いますが、宗淳孝景時代の安定期を経て、信長との抗争時に、一乗谷防衛についてどこまで危機意識があったのか、疑問を感じるところです。
次回、「上城戸」「下城戸」と付属櫓(城砦)です。
参考文献は、「朝倉氏の城郭 投稿一覧」にまとめてあります。
2023年11月現地、2025年4月27日投稿。