城郭寺院 (4)

 

中世寺院・城館の石垣

中世石垣の石積み

長法寺(滋賀県高島市)

天台宗「比叡山三千坊、比良山七百坊」のひとつで、「高島七箇寺」筆頭の有力寺院です。
文明3年(1471年)11月の売券に記された「長法寺大品坊」が最後の記録で、以後の消息が途絶えます。その後、城郭として再利用された時期があったようです(小林 2013年)。
石垣は、坊院区画にともなうもので、15世紀代にさかのぼると考えられます。

長法寺
(1) 【長法寺 坊院区画】
阿弥陀寺(滋賀県近江八幡市)

平安時代に奥津島神社の神宮寺として創建されました。中世には、天台回峯行場の重要拠点として繁栄し、東谷・西谷・北谷の坊院群が形成されました。
2023~2024年度に北谷の発掘調査が行われ、ひな壇状の造成された坊院群から、15世紀から16世紀前半の石垣が発見されています(公益財団法人滋賀県文化財保護協会 2023・2024年)。写真は2023年度の調査区です。

阿弥陀寺坊院
(2) 【阿弥陀寺 坊院区画】
ダンダ坊(滋賀県大津市)

比良山系の山麓にある旧志賀町域最大級の寺院です。平安時代には南都法相宗の拠点でしたが、その後の天台宗に組み込まれ、比叡山に住山する僧侶が代々継承しました。
その後、佐々木道誉の子息「了性」など妻帯した僧侶(天台山徒)が入寺して、半ば世俗化した領主的な勢力となり、真宗門徒化の動きをみせるなどして山門と対立するようになりました。戦国末期には明智光秀の攻撃を受けて没落したようです(藤岡 2011年)。
本堂エリアと北側の居館エリアの石垣です。居館エリアは佐々木氏を背景とした領主の居館で、内部には庭園跡もあります。枡形状(食違い)の虎口 については戦国末期でしょうか。

ダンダ坊本堂エリア
(3) 【ダンダ坊 本堂エリア】
ダンダ坊領主館
(4) 【ダンダ坊 居館エリア】
歓喜寺(滋賀県大津市)

弘安3年(1280年)、正応6年(1293年)、永享4年(1432年)の古記録が確認できるようですが、永享4年は寺領売り渡しの売券で、その後記録が途絶えます(小林 2012年)。
一端廃寺になった後、文禄元年(1592年)に薬師堂が再建されますが、その間、地元の土豪なのか浅井・朝倉勢なのかは不明ですが、城郭として整備され、堀切によって坊院群は分断されました。
石垣は、坊院区画にともなうものです。

歓喜寺
(5) 【歓喜寺 坊院区画】
西光寺(星ヶ崎城)(滋賀県竜王町・野洲市)

一般的には星ヶ崎城として知られていますが、竜王町側山麓の西光寺または野洲市側の弥勒寺に関連する遺構と考えられています(藤岡他 2007年)。石材は花崗岩です。

星ヶ崎城
(6) 【西光寺(星ヶ崎城)】
百済寺(滋賀県東近江市)

百済寺は、平安時代末に比叡山延暦寺の天台宗別院となり、「湖東の小叡山」と称されるようになります。ポルトガル人宣教師ルイス・フロイスがその書簡で、「座敷と庭園を備えた一千坊が建ち並ぶ地上の天国」と称したように繁栄を極めますが、信長の焼き討ちによって全山焼失してしまいます(愛東町 2003年、明石 2009年)。
写真は北谷の坊院群です。信長の焼き討ち以降放置され、中世当時の状況をそのまま残しているといわれていますが、江戸時代の墓標があることなど、江戸期の坊舎があった可能性もあるとのこと。
動画は、鈍角(シノギ角)の折れをもつ石垣で、高さは4.4m弱、長さ15mあります。他の寺院跡では例のない高石垣です。
坊院群の石垣は15世紀代にさかのぼる可能性があると考えますが、高石垣は戦国末期ごろでしょうか。

百済寺北谷
(7) 【百済寺 北谷坊院区画】
百済寺北谷
(8) 【百済寺 北谷坊院区画】
【百済寺 北谷 高石垣 動画】
白山平泉寺(福井県勝山市)

白山平泉寺南谷坊院群の現存石垣です。
白山平泉寺は、白山信仰の拠点として開山し、その後比叡山延暦寺、朝倉氏と連携して、室町時代の最盛期には、四十八社三十六堂社領九万石六千坊を誇る北陸の一大勢力となりました。石畳道・石塁の構築は、永享12年(1440年)ごろには開始されたと考えられています(勝山市 2017年)。

白山平泉寺南谷
(9) 【白山平泉寺 南谷 現存石垣】
東山殿(銀閣寺旧境内) (京都市左京区)

文明14 年(1482年)に、足利義政が如意ケ嶽山麓に造営を開始した東山殿(東山山荘)の石垣です。銀閣寺(慈照寺)の旧境内にあたります。
発掘されたのは水路にともなう石垣で、東山殿の基盤となる施設であることから、山荘造営当初の石垣と考えられています。石材は花崗岩の割石(角石)で、連続矢穴が確認できます(財団法人京都市埋蔵文化財研究所 2008年)。

東山殿
(10) 【東山殿(銀閣寺旧境内)】
報告書(財団法人京都市埋蔵文化財研究所 2008年)からの転載です。
水茎岡山城(滋賀県近江八幡市)

永正5年(1508年)、11代将軍足利義澄が都を追われ、六角氏被官の九里信隆を頼って身をよせたとされる城です。永正20年(1520年)と大永5年(1525年)に六角定頼に攻められ落城し、廃城になりました。
もともとは天台宗寺院です。義澄の館跡との伝承のある山麓鞍部で礎石建物をともなう石垣が発見されています。15世紀末から16世紀初頭と考えられているようです。

水茎岡山城
(11) 【水茎岡山城報告書】
報告書(滋賀県教育委員会他 1981年)からの転載です。

参考文献
・滋賀県教育委員会・財団法人滋賀県文化財保護協会『岡山城跡発掘調査報告書』1981年
・財団法人京都市埋蔵文化財研究所『史跡慈照寺(銀閣寺)旧境内』2008年
・福永清治「寺院における石垣技術の変遷を追う」『忘れられた霊場をさぐる2』栗東市教育委員会・財団法人栗東市文化体育振興事業団 2007年
・藤岡英礼「「山寺」遺構の構造と解釈」『忘れられた霊場をさぐる2』栗東市教育委員会・財団法人栗東市文化体育振興事業団 2007年
・藤岡英礼他「近江南部山寺調査資料集」『琵琶湖と地域文化』サンライズ出版 2011年
 ・愛東町『百済寺遺跡分布調査報告書Ⅱ』愛東町文化財調査報告書第10集 2003年
・明石一史「金剛輪寺と百済寺」『新視点・山寺から山城へ』第4回山城サミット実行委員会・米原市教育委員会他 2009年
・小林裕季「比良山系の山寺 大津市歓喜寺遺跡について」『紀要』25 財団法人滋賀県文化財保護協会 2012年
・小林裕季「比良山系の山寺(2) 高島市長法寺遺跡について」『紀要』26 公益財団法人滋賀県文化財保護協会 2013年
・小林裕季「比良山系の山城に築かれた石垣と回峰ネットワーク」『紀要』34 公益財団法人滋賀県文化財保護協会 2021年
・勝山市『白山平泉寺 よみがえる宗教都市』吉川弘文館 2017年
・公益財団法人滋賀県文化財保護協会『阿弥陀寺遺跡発掘調査現地説明会資料』2023年
・公益財団法人滋賀県文化財保護協会『阿弥陀寺遺跡発掘調査現地説明会資料』2024年

2024年11月5日投稿


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