矢穴の編年 (2)

 

石垣の起源をさぐる series 1

矢穴の話 (2)

前回、森岡秀人・藤川祐作論文の矢穴編年を簡単にまとめました。今回は、下記論文を参考にしつつ、個人的な感想を付け加えておきます。

矢穴型式

参考文献
・森岡秀人・藤川祐作「矢穴の型式学」『古代学研究』第180号 古代学研究会 2008年
・森岡秀人・藤川祐作「3. 矢穴調査報告」『額安寺宝筐印塔修理報告書』大和郡山市文化財調査報告書18集 2011年
・森岡秀人「矢穴技法」『織豊系城郭とは何か』サンライズ出版 2017年

矢穴編年概説

先Aタイプ・古Aタイプ

先Aタイプは中世石造物、古Aタイプは中世寺院・城郭系石垣の矢穴ですが、石造物の技術が石垣に転用されていく過程、時期は明らかになっていません。
そもそも石垣(石積み)の起源どこにあるのか。古代山城(朝鮮式山城/神籠石)の石垣と中世城郭の石垣の間には断絶がありそうですが、寺社では、基壇周りや擁壁、排水溝など、石造りの構造物は一般的にあったと思います。
ただし、石塔・石仏のように紀年銘はないし、更新(修復)されることもあって、年代の特定は難しいのだと思います。

年代が推定できるのものとしては、森岡・藤川論文が取り上げ、前回写真を引用した、京都東山殿石垣(銀閣寺旧境内)があります。これは、8代将軍足利義政が文明14年(1482年)に造営したものですが、寺院ではさらにさかのぼる可能性がありそうです。
白山平泉寺(はくさんへいせんじ)(福井県勝山市)の坊院群の石畳道や石塁の構築は、永享12年(1440年)ごろに開始されたと考えられています。また、長法寺(ちょうほうじ)遺跡(滋賀県大津市)も、その盛期から応仁・文明の乱(1467~ 1477年)以前にさかのぼる可能性が高いと考えられています。ただ、細かいことをいえば、石垣と矢穴の開始時期が同じかどうかはひとつひとつ検証が必要になりますが。

長法寺矢穴
【先Aタイプ
①②長法寺遺跡(滋賀県高島市) ③④白山平泉寺南谷坊院(みなみだにぼういん)(福井県勝山市)
④は現地パネルの複写です。ともに15世紀代にさかのぼる可能性がある矢穴です。
観音寺城技法(古Aタイプ)

矢穴列が連続せず一辺に対して1~4個(おもに2~3個)のものを「観音寺城技法」と呼んでいます。石材を直線的に割る出すことよりも、半裁することを目的としているように見えます。古Aタイプの多くはこの「観音寺城技法」です。名称は「観音寺城」ですが、年代から見て観音寺城が最古ではなく、寺院発の技法だと思います。

観音寺城技法
観音寺城技法】
観音寺城(滋賀県近江八幡市)。安土城以前の石垣です。
bタイプ

Bタイプが主体となる石切場(石丁場)や石垣がないことから、おそらくイレギュラーなものだと思います。
「タイプ」をただの分類ではなく、時期・地域を示すものと考えるならば、今後の分類では、独立した「タイプ」からは外すことが適当ではないかと思われます。

Cタイプ

森岡秀人・藤川祐作さんは「18世紀後半以降に急増」ということで、ずいぶん新しく見ているようです。実際、城郭や寺院でも、修復と思われるような石段などで見かけることがあります。

矢穴Cタイプ
Cタイプ】
①②安土城石段(滋賀県近江八幡市) ③④歓喜寺遺跡(滋賀県大津市)
安土城は近世以降の修復時のもの。歓喜寺遺跡は、中世城郭寺院ですが、これは幕末から明治期の採石場にともなうものです。

Cタイプの開始時期がどこにあるのか。
名古屋城(愛知県名古屋市)では、AタイプにCタイプが混在する場所もあり、Cタイプは修復にともなう補填と考えられますが、改修時期がわかりません。
盛岡城(岩手県盛岡市)では、築城から石垣の修復歴がある程度明らかになっています。これによると、延宝期から貞享年間(1673~1688年)の普請段階でCタイプに移行しているようです。
一方、徳川大坂城では、元和6年(1620年)から寛永6年(1629年)の間、3期にわたる普請が行われていますが、石丁場を含めCタイプはないようです。

地域差があるかもしれませんが、寛永期から延宝期の間あたりにAタイプからCタイプへの変化がありそうです。時期的に重なる長方形切石の布積み(整層積み)は、矢穴痕をあまり表面に残していないので、Cタイプの成立と関係するかもしれません。
ただ、盛岡城を含め、矢穴に興味をもってから、近世城郭の石垣をあまり見ていないので、また考えが変わるかもしれません。

AタイプからCタイプへの変遷が、技術的な革新によるものか、そのあたりも不明です。
一時期、A(・B)タイプが大割りでCタイプが小割りといった使い分けがあった可能性も完全には捨てきれませんが、幕末の四郎ヶ島台場(長崎県長崎市)の石切場は、CタイプのみでA(・B)タイプは確認できませんでした。

Dタイプ

Dタイプも城郭で見ることがありますが、もちろん最近の修復です。
ただ、目立たないようにしてもらわないと下記の大坂城や田丸城は正直興ざめです。

矢穴Dタイプ
Dタイプ】
①徳川大坂城内堀外側(大阪府大阪市) ②田丸城本丸虎口(三重県玉城町)
①②はおそらく昭和の
修復時のものです。①はなぜか石垣の下部にありました。ということは、その上すべて積み直された石垣、ということになります。③は近所にあったものです。

参考文献
・中井均『戦国の城と石垣』高志書院 2022年
・北原治「矢穴考 1 観音寺城技法の提唱について」『滋賀県文化財保護協会紀要』第21号 2008年
・財団法人京都市埋蔵文化財研究所『史跡慈照寺(銀閣寺)旧境内』2008年
・滋賀県教育委員会『史跡観音寺城跡石垣基礎調査報告書』2012年
・盛岡市教育委員会『盛岡城 I 』1991年
・盛岡市遺跡の学びの館『国史跡盛岡城跡 第40次調査』現地説明会資料 2019年


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