コラム (3) 柴田勝家献上笏谷石
安土城の笏谷石
安土城天主台穴蔵入口石段の途中に、(長)方形の加工石が10数枚敷かれています(写真6)。
この日は朝まで雨だったようで、他石に比べて青く発色していました。これは「笏谷石(しゃくだにいし)」の特徴です。
『信長公記』巻十四、天正9年(1581年)7月11日に、柴田勝家が黄鷹6羽と切石数百箇を献上したとの記述があります。
その切石は越前国(福井県)の名石である「笏谷石」のことで、その一部が現存していると考えられています。


安土城は江戸時代以降、年忌法要に合わせて参道などの修繕が行われていて、とくに石段などはどこまで当時のものかは分かりません。江戸時代後半期以降のCタイプといわれる矢穴も散見されます。しかし、修繕のためにわざわざ笏谷石を取り寄せるとは思えないし、また形状も整っていて他とは明らかに違います。
笏谷石は、越前(福井県)足羽山山麓の笏谷地区で採れる凝灰岩で、江戸時代には、石仏・石塔・石廟などの製品や石材として、北海道にいたる日本海沿岸各地に流通しました。
柴田勝家が、天正3年(1575年)に築城を開始した北庄城(北の庄城/北ノ庄城)(福井県福井市)では、屋根瓦に笏谷石製の石瓦を使用しました。これが大規模採掘と製品化の契機となった可能性がありそうです。そして、信長への献上が広く周知されることとなるきっかけとなったのではないかと思っています。このあたりのことは、次回投稿します。
信長は、天正7年(1579年) 5月11日吉日に天主に移り住んでおり、勝家が献上した天正9年当時、安土城天主はすでに完成していました。完成した石段の敷石をあえて笏谷石に変えたのは、勝家の忠義に報いようとしたのか、笏谷石を気に入ったのか。。





滋賀県教育委員会 『滋賀県中世城郭分布調査4 旧蒲生・神崎郡の城』 1986年収録図から作成しました。
次回投稿で各地の笏谷石を紹介します。
2017年11月、2024年2月現地、2025年1月18日投稿