観音正寺坊院群(2)伝進藤・後藤邸
坊院群A (伝進藤・後藤邸) (2)
坊院群A(伝進藤・後藤邸)は、石垣・石塁によって直線道路、坊院区画とも整然と築かれています。16世紀代の中心的な「谷」(坊院群)であり、主要伽藍との位置関係からも、おそらく、中世を通して中心的な坊院群として維持・整備されてきたのだと思います。
伝進藤・後藤邸前面の石垣は切岸上部に築かれ、(8)の石垣は長さ33.6m、高さは最大で3.9mをはかります。伝進藤・後藤邸全体では長さ82m、最も高い石垣は伝後藤邸東端で5.9mです(滋賀県教育委員会 2011年)。
この石垣は、個人的には観音正寺・観音寺城では最も新しい段階のものではないかと思っています。切岸、前面の平坦地を含め、六角氏によって坊院群前面が観音寺城の外郭として改修されたのではないか考えています。本谷道坊院群A手前や、前回紹介した伝後藤邸中央下部の道は、鋭角・直角の折れをもっていて「城郭」的です。「城郭」については、改めて投稿します。
現在、本谷道上部とこの伝進藤・後藤邸周辺については、「蘇れ、幻の観音寺城 本谷プロジェクト」と称して、民間ベースで伐採など整備が進められています。2021年秋からほぼ毎春秋に訪問していますが、当初はあの激竹藪相手にとても太刀打ちできないのではないかと思ってましたが、ご努力には頭が下がります。
伝進藤・後藤邸については、状況が刻々と変わっているので、撮影時期を明記してあります。
整備状況について、くわしくは こちら 。
「伝●●邸(丸)」はあくまでも曲輪(坊院)の固有名として使用するだけで、実際にその家臣屋敷であった可能性はまったく考えていません。
家臣名については こちら 、「坊院」など城郭寺院については こちら にまとめてあります。
参考文献 は、「観音寺城投稿一覧」にまとめてあります。
観音寺城(7)に続きます。
2024年7月15日投稿