石垣 (3) 矢穴 (2) 大石垣・伝池田丸など
観音寺城の矢穴
矢穴をもつ石垣は、城域(寺域)全体にみられますが、まとまっているのは、大石垣と伝池田丸、山麓の御屋形跡です。大石垣と伝池田丸については、前回紹介した大石垣と伝池田丸の間の斜面地の石切場を中心に採石されたと考えられます。
前回もふれましたが、繖山は、湖東流紋岩体の山で、各所で露頭を見ることができます。特定の場所ではなく、山域全体から採石されたと思われます。
矢穴がどういった局面で穿たれたのかはっきりはしませんが、少なくとも 割石=矢穴 ではありません。割石によって石垣面を整えている伝進藤・後藤邸前面の高石垣では矢穴は確認できません。伝進藤・後藤邸では、隣接する谷部(本谷)から自然割石を容易に調達できることができたと考えられます。築石の違いについては、尾根上や谷近くなど、場所の違いも考えておく必要があるかもしれません。
観音寺城技法
観音寺城の矢穴については、北原氏によって「観音寺城技法」が提唱されています(北原 2008年)。
その特徴として、矢穴が1~4個と少なく、矢穴列が分割予定線(一辺)の30~60%の範囲に収まること。矢穴は大型で縦断面がU字形ないし隅丸の逆台形になることをあげています。
観音寺城の矢穴は、森岡秀人・藤川祐作両氏による分類では「古Aタイプ」です(森岡・藤川 2008年・2011年、森岡 2017年)。
森岡・藤川両氏は、近世以前の矢穴を「先Aタイプ」と「古Aタイプ」に区分しています。両者は「タイプ」として分類されていますが、主な基準はその形状ではなく、「先Aタイプ」は中世石造物、「古Aタイプ」は織豊系城郭以前の中世寺院・城郭系石垣の矢穴としています。「古Aタイプ」は、その年代から「先Aタイプ」を石垣普請などの土木技術にも転用したものと考えられます。
森岡・藤川両氏は、矢穴列(数)にふれていませんが、私見によると、おおむね「先Aタイプ」 は「連続矢穴技法」、「古Aタイプ」は 「観音寺城技法」になります。これは、石材用途の違いを反映しているのでしょう。矢穴数の少ない「観音寺城技法」は、特定の大きさ、形の石材を切り出すことを意図しておらず、この段階の石垣の築石としては、適当なサイズに割ることができればそれで十分だったのでしょう。早い話が「観音寺城技法」は「連続矢穴技法」省略(省力)型で、そこに技術的な革新はないと思います。
なお、観音寺城技法(古Aタイプ)は、城郭石垣以前の寺院の石垣にあることから、「観音寺城」の名称は本来適当ではないと思います。
「観音寺城技法」と「先Aタイプ、「古Aタイプ」については こちら も合わせて参考にしてみてください。
参考文献 は、「観音寺城投稿一覧」にまとめてあります。
観音寺城(22)に続きます。
2024年10月2日投稿