観音寺城 (23)

 

石垣 (5) 編年(石垣の変遷) (1) いろいろな石垣

観音寺城の魅力は、なんといっても安土城以前に築かれた石垣です。なおかつ、信長の侵攻によって廃城となったことで、六角氏当時の石垣の多くが改変されることなく残っています。
ただ、安土城以前といってもいつ築かれたのか、論文などいろいろ読みあさってはみましたが、どうもしっくりくる解答がありません。なので自分であれこれ考えてみました。

まずは石垣の分類です。今回と次回の2回です。

いろいろな石垣

観音寺城(観音正寺)の石垣についての高さ、長さ、勾配などの基本情報は報告書に一覧があり、今回これらを参考にさせてもらいました。石垣配置図と一覧は こちら でダウンロードできます。
また、石垣の分類や数値の集計については伊庭功氏がまとめられていますので、これも参考にさせてもらいました(伊庭 2014年)。

観音寺城
(図1)  【観音寺城全体図】
原図は藤岡英礼氏(2015年)から。
石塁・石垣模式図
(図2)  【石塁・石垣模式図】

石塁A 表裏に石垣をもつもののうち、平坦地に築かれるもの。
 A1 中央に土塁をはさまないもの。
 A2 中央に土塁をはさむもの。

石塁B 表裏に石垣をもつもののうち、斜面縁辺に築かれるもの。
 B1 中央に土塁をはさまないもの。
 B2 中央に土塁をはさむもの。
 
石塁C 表裏に石垣をもつもののうち、斜面側石垣が斜面地に長くのびているもの。Ca・Cbは石垣Bに準じます。
 
石垣A 平坦地や道路際の切岸、緩斜面のひな壇状の切岸などに土留めとして築かれたもの。高さは1m~1.5m程度の低石垣。

石垣B 斜面(切岸)に築かれたもの。高石垣。
 Ba 斜面(切岸)全体を覆うもの。
 Bb 斜面(切岸)上部に築かれた鉢巻石垣。

織豊系を含む近世城郭では、石塁Bと石垣Bが一体となった石塁Cが基本型となりますが、観音寺城の石塁はA・Bが基本で、石塁Cは伝小藤邸裏石塁(写真4)ぐらいでしょうか。伝小藤邸裏についても、少なくとも現状は斜面側の石垣が不完全です。
伝本丸や伝池田丸の石塁Bには、若干斜面側石垣の足が長いものもありますが、観音寺城の場合、石塁Bと石垣Bはそもそもの役割や構築時期、あるいはもともとの系譜が違うのか、接点がないように思えます。

伝松岡邸石塁
(1)  【伝松岡邸石塁】石塁A1
伝淡路邸石塁
(2)  【伝淡路丸(伝布施淡路守邸)石塁】石塁B2
伝池田丸石塁
(3)  【伝池田丸石塁】石塁B2
伝小藤邸裏伝本丸西辺など石塁、
(4)  【石塁】(A)(B)伝小藤邸裏石塁(石塁C)、(C)伝本丸西辺2段石塁上段(石塁B1)、(D)伝木村邸石塁(石塁B1)
伝後藤邸前面西鉢巻石垣
(5)  【伝後藤邸前面西鉢巻石垣】石垣Bb

なお、石垣と石積みについては、背後に裏込めをもつものを「石垣」、裏込めがないものを「石積み」とするようですが、表面的に区別できないため、ここでは特別な場合をのぞき「石積み」は使用しません。上記の「石垣B」については、厚みはともかく玉砂利状の裏込め石が認められますが、石塁、石垣Aについては裏込め石を欠くものがありそうです。

石垣の高さ

伊庭氏の集計によると、観音寺城の石垣536か所のうち、1.8m以下が全体の368か所(68.7%)、3.6m以下では516か所(93.6%)に達するのに対して、5.4m以上はわずか5か所(0.9%)(御屋形跡をのぞく)にすぎません(伊庭 2014年)。
観音寺城は「安土城に先立つ全山総石垣」などと称されることもありますが、実態としての観音寺城の石垣は、織豊系を含む近世城郭とまったく違うものであることは、この数字をみても明らかだと思います。観音寺城には、観音正寺の石垣あるいは寺院由来の石塁・石垣が多数存在するということではないでしょうか。
これに対して、中世寺院の石垣は、道路や坊院などの区画のための石塁や土留め石垣が一般的で、これは石塁A・B、石垣A(写真6)に対応します。

石垣A(土留め石垣)伝馬渕邸など
(6) 【石垣A(土留め石垣)】(A)観音正寺旧本堂横、伝馬渕邸。(B)百済寺(滋賀県東近江市)北谷坊院区画、(C)阿弥陀寺(滋賀県近江八幡市)坊院区画。

石垣B2については、高さ上位の石垣を挙げておきます。なお、御屋形跡は報告書の対象範囲から外れているため、正確な数値は不明です。

 ( 1位)  御屋形跡石垣 高さ7m以上。
 (2位)  権現見付北側上石垣 高さ7.0m。
 (2位)  伝伊庭邸南側石垣 高さ7.0m。
 (4位)  閼伽坂見付西側石垣 高さ6.6m(現存約4m)。報告書によると最高部は埋没とのこと。
 (5位)  伝池田丸南側下「大石垣」 高さ6.0m。
 (6位)  伝後藤邸前面東石垣東端部 高さ5.9m。
 (7位)  伝三国間東側下石垣 高さ5.5m。
 (8位)  伝孫次郎邸石垣 高さ5.1m。
 (9位)  宮津口見付下石垣 高さ4.4m。

御屋形跡石垣
(7)  【 1 位 御屋形跡石垣】
権現見付北側上部石垣
(8)  【2位 権現見付北側上石垣】
伝伊庭邸南側石垣
(9)  【2位 伝伊庭邸南側石垣】
閼伽坂見付西側石垣
(10)  【4位 閼伽坂見付西側石垣】埋没しているとするとこの足下でしょうか。
伝池田丸南側下大石垣
(11)  【5位 伝池田丸南側下大石垣】
伝後藤邸前面東石垣
(12)  【6位 伝後藤邸前面東石垣】
伝三国間東側下石垣
(13)  【7位 伝三国間東側下石垣】
伝孫次郎邸石垣
(14)  【8位 伝孫次郎邸石垣】
宮津口見付下石垣
(15)  【9位 宮津口見付下石垣】

こうした高石垣は、観音寺城内では少数かつ山中に断片的に築かれています。

なお、報告書と伊庭氏の集計値が微妙にあっていないため、本文中の数値にも不整合があります。

撮影位置図
(図3) 【石垣 掲載写真位置図】

参考文献 は、「観音寺城投稿一覧」にまとめてあります。

観音寺城(24)に続きます。

2024年10月31日投稿


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