舞鶴鎮守府 海軍警備隊の概要と防空砲台
舞鶴要塞・舞鶴鎮守府 (17)



主な項目
○陸軍砲台・堡塁から海軍防空砲台へ
○舞鶴海軍警備隊
○舞鶴の防空砲台
○舞鶴の機銃砲台
○舞鶴の監視・観測体制 (特設見張所・防衛衛所と電波探信儀他)
○空襲の記録
○倉梯山防空砲台の現状とアクセス
舞鶴鎮守府と舞鶴要塞
倉梯山防空砲台
倉梯山(くらはしやま)防空砲台(京都府舞鶴市)は、舞鶴鎮守府海軍警備隊に所属する高角砲陣地です。太平洋戦争時の対空軍事拠点のひとつです。
本シリーズは、倉梯山防空砲台の紹介ですが、初回の今回は、軍都舞鶴の防備の中心が、明治時代の陸軍舞鶴要塞から舞鶴海軍警備隊に移行すること、防空砲台など昭和期の海軍警備隊の警備体制について概要をまとめてみました。
舞鶴鎮守府と主に舞鶴要塞砲台・堡塁群については、過去の投稿でも概要をまとめています。
舞鶴鎮守府
京都府舞鶴市の東舞鶴は、明治時代になった新たに開かれた「軍都」です。
その中核となる「鎮守府(ちんじゅふ)」は、軍港と一体的な海軍の拠点機関で、所轄海域の防備とともに所属艦艇の統率・補給・出撃準備、兵員の徴募・訓練や、艦艇の建造・修理、兵器・弾薬の製造、海軍病院、軍港水道等の施設の運営・管理など、艦艇の後方支援を主な業務としていました。
明治22年(1889年)に、第四海軍区鎮守府を舞鶴に設置することが閣議決定され、舞鶴鎮守府は明治34年(1887年)に開庁しました。舞鶴東港周辺に、司令部、艦船・各種兵器・弾薬の製造を行った海軍工廠や倉庫群が置かれ、造船施設(旧第一・第二船渠)や軍需部倉庫(現舞鶴赤レンガパーク)などが現在も残っています(写真4)。
なお、舞鶴鎮守府は、第一次世界大戦後の国際的な軍縮(ワシントン海軍軍縮条約)と、日露戦争後の地政学的な重要性の低下から、大正14年(1923年)~昭和14年(1939年)の間は「舞鶴要港部」に降格しています。

背景写真はGoogle Earth Proから。機銃砲台の位置ははっきりしていないことから明示していません。
舞鶴要塞
一方、舞鶴要塞は、陸軍の機関です。
明治維新後、敵国艦隊の襲来に備えて、全国各地の港湾や海峡に要塞(砲台/堡塁)を設置することとなり、明治13年(1880年)5月に、東京湾要塞の観音崎第1・2砲台(神奈川県横須賀市)の築造工事(築城)が始まりました。引き続き、対馬(長崎県)、下関(山口県)、由良(和歌山県和歌山市、兵庫県洲本市など)地区の砲台築造が開始され、舞鶴についても、明治30年(1897年)から、葦谷砲台の工事が始まりました。
舞鶴の明治期(第1期)の砲台は、舞鶴湾入口付近に配置され、舞鶴湾の最先端にあたる博奕(ばくち)岬には電灯(探照灯)が設けられました(図1)。

背景図はカシミール3Dから作成。
陸軍砲台・堡塁から海軍防空砲台へ
日露戦争(明治37年(1904年)~明治38年)を経て明治末期になると、日本海側の脅威が緩和し、また、大砲の有効射程距離の延伸や射撃精度の向上などから、要塞整理の議論が始まり、大正9年(1919年)と翌年の「要塞整理要領」「要塞整理方針」にもとに、各要塞の砲台の統廃合や新規築造が行われることになりました。
舞鶴要塞でも、舞鶴湾口周辺の既存の砲台・堡塁の残置と廃止、舞鶴軍港の防衛線を外洋側に前進させた新たな砲台の建設が検討されました。大正8年(1912年)の「要塞整理要領」にもとづく「舞鶴要塞兵備表」では、葦谷、槇山、建部山、吉坂と金岬の一部廃止と、舞鶴湾外洋側に、新井崎(にいざき)砲台(京都府伊根町)、成生崎(なりゅうみさき)砲台(京都府舞鶴市)を新設することが示されています。
しかし、第一次世界大戦(大正3年(1914年)~大正7年)以降の航空機・潜水艦の急速な進化は、対敵艦隊、対敵上陸部隊との砲戦を想定した従来型の砲台・堡塁の必要性そのものが問題となり、防衛体制・設備全般の根本的な見直しが議論されることになりました。そうした状況から、新たな砲台の築造や備砲の新式への更新はなかなか進みませんでした。舞鶴要塞でも、昭和期になって、新井崎砲台と成生崎砲台に加え冠島(かんむりじま)砲台(京都府舞鶴市)の建設が開始されましたが(第2期)、昭和11年(1936年)完成の新井崎砲台以外は、未完成のまま終戦を迎えることになりました。
一方、航空機対策としては、大正12年(1923年)に、陸軍と海軍の間で「航空機以外ヲ以テスル帝国重要地点陸海軍防空任務協定」が結ばれました。これは、本土防空についての任務協定で、陸軍と海軍の役割分担を定めたものです。陸軍は重要都市、工業地帯を中心とする国土全般を受け持ち、海軍は軍港、要港などの海軍関係施設の局地防空を担当することになり、これは昭和20年の敗戦時まで基本方針として維持されました。
これによって、舞鶴を含む各地の鎮守府の防空は、海軍が自ら担うことになりました。その中核となる対空戦闘用陣地が「防空砲台(防空高角砲台)」で、高角砲とともに探照灯・聴音機・測距儀などが配備されました。機関銃を中心とする砲台は、「機銃砲台(防空機銃砲台)」と呼び区別していました。
防空砲台は、昭和11年(1936年)ごろから呉軍港の螺山防空砲台(広島県呉市)や、横須賀軍港の猿島防空砲台(神奈川県横須賀市)などで計画・建設が始まりましたが、各地で建設されるようになったのは、太平洋戦争開戦前夜の昭和16年(1941年)ごろからです。
なお、陸軍の対空陣地の呼称は「高射砲陣地」で、高角砲は「高射砲」と呼ばれていました。
舞鶴の警備体制
舞鶴海軍警備隊
舞鶴軍港を根拠地とする舞鶴鎮守府の中で、重要施設の警備などの任務を担当していた陸上部隊が舞鶴海軍警備隊です。防空砲台は、海軍警備隊に属していました。
舞鶴海軍警備隊の任務は以下の通りです。
・「舞鶴鎮守府所管ノ防禦及警備ヲ撰任シ必要ニ應ジ港務通信等ニ關スルコトヲ掌ル」
※「自昭和17年5月1日至昭和17年5月31日 舞鶴海軍警備隊戦時日誌」
https://www.jacar.archives.go.jp/das/meta/C08030484600
JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C08030484600
・「舞鶴軍港及其ノ附近ノ防禦竝ニ舞鶴鎮守府担当陸上警備区域ノ警戒」
※「自昭和18年10月1日至昭和18年10月31日 舞鶴海軍警備隊戦時日誌」https://www.jacar.archives.go.jp/das/meta/C08030486800
JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C08030486800
防空砲台を含む警備隊の月ごとの編制、兵員配置、建設工事、活動などは、戦時日誌で確認することができます。ただし、国立公文書館アジア歴史資料センターに保管されている戦時日誌は、開戦時の昭和16年11月20日から昭和20年6月30日までで、終戦時の記録がありません。
戦時日誌最終の昭和20年6月分警備隊日誌にもとづく舞鶴海軍警備隊編制は以下の通り。
【舞鶴海軍警備隊編制】(昭和20年6月警備隊日誌)
※「自昭和19年10月1日至昭和20年6月30日 舞鶴海軍警備隊戦時日誌(4)」
・警備隊本部
・警衛隊
・軍港陸上防火隊
・化兵隊
・不発爆弾処理隊
・応急修理救護隊
・特設防空指揮所
・防空砲台
・特設見張所
・軍鳩斑
・練習部
・設営斑
https://www.jacar.archives.go.jp/das/meta/C08030488100
JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C08030488100
(表1)の兵力配備は、やはり戦時日誌最終の昭和20年6月分をもとにしています。警備隊の警備対象の概略が分かります。(図2・3)は、(表1)の添付図です。
(表1) 【舞鶴海軍警備隊 兵力配備表】
| No. | 准士官以上 | 下士官 | 兵 | 合計 | |
| 【1】 | 空山防空砲台 | 9 | 20 | 99 | 128 |
| 【2】 | 五老(岳)防空砲台 | 7 | 15 | 107 | 129 |
| 【3】 | 倉梯(山)防空砲台 | 8 | 15 | 94 | 117 |
| 【4】 | 中山防空砲台 | 7 | 9 | 72 | 88 |
| 【5】 | 槇山防空砲台 | 9 | 16 | 120 | 145 |
| 【6】 | 愛宕(山)防空砲台 | 6 | 6 | 77 | 89 |
| 【7】 | 博奕(岬)防空砲台 | 3 | 8 | 71 | 82 |
| 【8】 | 工廠機銃砲台 | 3 | 20 | 34 | 57 |
| 【9】 | 東山機銃砲台 | 1 | 3 | 21 | 25 |
| 【10】 | 喜多機銃砲台 | 1 | 2 | 9 | 12 |
| 【11】 | 倉谷機銃砲台 | 1 | 6 | 20 | 27 |
| 【12】 | 磯崎機銃砲台 | 1 | 4 | 18 | 24 |
| 【13】 | 白浜機銃砲台 | 1 | 2 | 9 | 12 |
| 【14】 | 北吸機銃砲台 | 1 | 4 | 8 | 13 |
| 【15】 | 大波機銃砲台 | 1 | 3 | 16 | 20 |
| 【16】 | 松ヶ崎機銃砲台 | 1 | 6 | 7 | |
| 【17】 | 朝来機銃砲台 | 3 | 13 | 41 | 57 |
| 【18】 | 雁又機銃砲台 | 1 | 2 | 8 | 11 |
| 【19】 | 西舞鶴埠頭 機銃砲台 | 1 | 4 | 28 | 33 |
| 【20】 | 福知山(七糎野高)砲台 | 2 | 21 | 130 | 153 |
| (1) | 北地区本部 | 4 (1) | 2 | 6 (1) | |
| (2) | 東地区本部 | 3 (1) | 1 | 4 (1) | |
| (3) | 東構門 | 1 (1) | 10 | 11 (1) | |
| (4) | 東舞鶴駅前 | 1 | 4 | 5 | |
| (5) | 第一上陸場 | 2 | 7 | 9 | |
| (6) | 水源地 | 1 | 4 | 5 | |
| (7) | 大波重油槽 | ||||
| (8) | 中地区本部 | 2 (2) | 2 (2) | ||
| (9) | 西構門 | (2) | 8 | 8 (2) | |
| (10) | 鎮守府門 | 1 (1) | 11 | 12 (1) | |
| (11) | 若狭和田火薬庫 | 2 (1) | 10 | 12 (1) | |
| (12) | 白浜火薬庫 | 2 (1) | 13 | 15 (1) | |
| (13) | 佐波賀火薬庫 | 1 | 6 | 7 | |
| (14) | 岩子火薬庫 | (1) | 7 | 7 (1) | |
| (15) | 和田火薬庫 | (1) | 7 (1) | 7 (2) | |
| (16) | 西舞鶴分遣隊 | 1 | 2 (2) | 5 (1) | 8 (3) |
| (17) | 上安喞筒所 | 1 | 3 | 4 | |
| (18) | 築港資材置場 | 1 (1) | 8 | 9 (1) | |
| (19) | 本部応急隊 | 1 | 12 | 13 | |
| (20) | 特設防空指揮所 | 11 | 17 | 49 軍属58 | 77 軍属58 |
(昭和20年6月分警備隊日誌)。「准士官」は兵曹長、人数欄の()は兼務。名称の表記について、五老岳、愛宕山、倉梯山、博奕岬は、「岳」「山」「岬」が省略される場合がけっこうあります。

昭和20年6月戦時日誌より。No.加筆。No.は(表1)と一致。

昭和20年6月戦時日誌より。(図7)と同じ。ただし、この昭和20年6月段階では長尾鼻特設見張所がありません。
舞鶴の防空戦闘体制
防空砲台
防空砲台(防空高角砲台)は、89式12.7糎(12.7cm)連装高角砲など(写真5)、高高度を飛行する敵航空機を撃墜するために開発された防空用の大砲を備えた砲台です(図4、表2)。
舞鶴で、防空砲台の築造が開始されたのは昭和16年(1941年)ごろのようです。ただし、設置計画や建設当初の経緯・状況は確認できませんでした。

89式12.7cm連装高角砲砲座。

No.は(表2)と一致。
(表2) 【舞鶴 防空砲台装備・施設一覧】
| 【1】空山防空砲台 (京都府舞鶴市野原) |
| 昭和16年11月以前に兵員配備。 |
| (米軍資料WOR46693)(久保晋作 2011年) 装備:12.7cm連装高角砲2、砲弾1439、12.7cm連装高角砲装填演習砲1、演習弾93、95式高射器1、4m高角測距儀1、1m測距儀1、観測鏡1、12cm高角双眼鏡2、13mm単装機銃8 (3600)、S24型電探0.5(1/2の事か?)、13号電探1、150cm探照灯(管制器)2、直流発電機2、97式聴音機2、交流発電機(付属品)1 |
| (朝日新聞昭和20年11月18日付)(舞鶴市史編さん室 1976年) 12.7センチ連装高角砲4門、95式陸用高射装置1基、12.7(センチ)高角砲演習装填砲1門、13ミリ重装機砲4基、12.7センチ高角砲照準望遠鏡5基、20式4メートル高角測距儀、追尾式150センチ探照灯、13号電波探信儀1組、S24号電波探信儀2組 |
| 【2】五老岳防空砲台 (京都府舞鶴市上安) |
| 昭和16年11月以前に兵員配備。 |
| (米軍資料WOR46693)(久保晋作 2011年) 装備:12.7cm連装高角砲2、砲弾636、12.7cm連装高角砲装填演習砲1、演習弾33、8cm高角砲4、砲弾133、13mm機銃4 (4051)、25mm機銃弾1792、2式高射器1、4.5m高角測距儀1、12cm高角双眼鏡2、96式150cm探照灯(管制器、付属品)1、直流発電機(220V、スイッチボード、付属品)1、須式110cm探照灯(付属品)1、直流発電機(スイッチ、付属品)1、ヱ式聴音機2、90式聴音機(付属品)1、60KVAディーゼル交流発電機(付属品)1、直流発電機(60V)1、交流モーター(ポンプ用)1 施設:指揮所1、待避所1、兵舎2、第1~4弾薬庫、付属品用倉庫1、衣類倉庫1、穀物倉庫1、発電所1、油脂庫1 |
| (朝日新聞昭和20年11月18日付)(舞鶴市史編さん室 1976年) 3年式8センチ高角砲、12.7センチ高角砲各4門、12.7センチ高角砲装填演習砲1門、13ミリ機銃4基 |
| 【3】倉梯山防空砲台 (京都府舞鶴市行永・堂奥・与保呂) |
| 昭和18年7月に兵員配備。 |
| 装備:12.7cm連装高角砲2、通常弾623、12.7cm高角砲装填演習砲1、装填演習弾34、8cm高角砲3、砲身1、通常弾144、訓練弾2、高射器1、4.5m高角測距儀1、25mm単装機銃4、25mm連装機銃2、弾薬箱38、弾倉44、訓練弾125、13mm連装機銃1、13mm単装機銃2、弾薬箱142、弾倉227、機銃弾1418、12cm高角双眼鏡1、8cm高角双眼鏡1、150cm探照灯(管制器、付属品)2、聴音機2、直流発電機(17.6KW 88V)2、交流モーター(l1KW 220V)2、60KVA交流発電機(制御盤、付属品)1 施設:火器管制塔1、付属兵舎1、探照灯格納庫1、モータ一室、分散弾薬庫2、変圧器室1、水ポンプ室1 |
| (朝日新聞昭和20年11月18日付)(舞鶴市史編さん室 1976年) 89式12.7センチ連装高角砲、8センチ高角砲各4門、12.7センチ高角砲装填演習砲1門、13ミリ連装機銃4基、25ミリ機銃8基 |
| 【4】中山防空砲台 (京都府舞鶴市長浜・余部下) |
| 昭和16年11月以前に兵員配備。旧名 旧送信所山機銃砲台。昭和18年11月に「中山」に改名。昭和19年3月から高角砲設置工事。昭和19年8月完成。 |
| (米軍資料WOR46695)(久保晋作 2011年) 装備:12cm高角砲(付属品)4、閉鎖器4、通常弾725、12cm高角砲装填演習砲1、演習弾10、高射器1、火器管制回路(付属品)1、2m高角測距儀2、12cm高角双眼鏡1、測距儀訓練機1、13mm機銃3、13mm機銃弾(1809+1511+1368)、110cm探照灯(付属品)1、ディーゼル直流発電機1、循環ポンプ1 施設:指揮所、待機室5、第1弾薬庫、第2弾薬庫、第3弾薬庫、倉庫、兵器庫、第1兵舎、第2兵舎、第3兵舎(25KW発電機用)、探照灯格納庫1、小屋12、食糧庫、風呂、発電機室、変圧器室、ポンプ室、貯水槽3 |
| (朝日新聞昭和20年11月18日付)(舞鶴市史編さん室 1976年) 12センチ高角砲4門、12センチ高角砲装填演習砲1門、13センチ機銃3門 |
| 【5】槇山防空砲台 (京都府舞鶴市東神崎・白杉・青井) |
| 旧陸軍槇山砲台。昭和19年7月に兵員配備。 |
| (米軍資料WOR46694)(久保晋作 2011年) 装備:12cm高角砲(付属品)4、閉鎖器4、89式信管調合器4、砲弾1198、演習弾80、教育用弾20、2式高射器1、武式4.5m高角測距儀1、97式2m高角測距儀1、12cm高角双眼鏡(付属品)1、25mm単装機銃1,13mm単装機銃2、13mm機銃弾1526、13号電探(付属品)1、96式150cm探照灯(管制器)2、17.6KWディーゼル直流発電機(付属品)2、ヱ式聴音機2、TM式無線機1、訓練用聴音機1、訓練用高角測距儀1、ポンプモーター1式1、ポンプ2、直流発電機1、変圧器1式1 施設:指揮所(付属品)1、探照灯格納庫1、水槽1 |
| (朝日新聞昭和20年11月18日付)(舞鶴市史編さん室 1976年) 10年式12センチ高角砲4門、25ミリ単装機銃1基、13ミリ単装機銃2基、3式1号電波探信儀・TM軽便無線電信機各1組 |
| 【6】愛宕山防空砲台 (京都府舞鶴市大波上・泉源寺) |
| 昭和16年11月以前に兵員配備。 |
| (米軍資料WOR46694)(久保晋作 2011年) 装備:12cm高角砲(付属品)4、同左信管調合器4、砲弾288、装填演習弾4、教育弾8、高射器(付属品)1、射撃盤1、2m高角測距儀1、12cm高角双眼鏡1、96式150cm探照灯(管制器、付属品、カバー)1、150cm探照灯追尾式(管制器、付属品)1、ヱ式聴音機(付属品)2、13mm単装機銃3 (1040)、ディーゼル直流発電機1、直流発電機1 |
| (朝日新聞昭和20年11月18日付)(舞鶴市史編さん室 1976年) 12センチ高角砲4門、93式13ミリ単装機銃3基、96式150ミリ大探照灯、ステレオ式2メートル高角測距儀、ヱ式空中聴測装置 |
| 【7】博奕岬防空砲台 (京都府舞鶴市瀬崎) |
| 旧陸軍博奕岬電燈。昭和16年11月以前に兵員配備。 |
| (米軍資料WOR46693)(久保晋作 2011年) 装備:8cm高角砲3、8cm装填演習砲1、高角砲弾578+200+55、2m高角測距儀1、96式150cm探照灯(管制器)1、直流発電機1、ヱ式聴音機1、90式聴音機1、25mm単装機銃1、弾1980+1700、13mm機銃弾8125、12cm高角双眼鏡1、ディーゼル直流発電機25KVA150V 施設:指揮所1、待機室1、探照灯用発電機室1、主弾薬庫1、廃棄された弾薬庫2、兵舎1、台所1、風呂1、食糧庫1、倉庫2、鳩小屋1、発電機室1、油脂庫1、ポンプ小屋1 |
| (朝日新聞昭和20年11月18日付)(舞鶴市史編さん室 1976年) 3年式8センチ高角砲3門、8センチ高角砲装填演習砲1門、96式25ミリ単装機銃2基 |
| 【20】浦入砲台 (京都府舞鶴市瀬崎) |
| 旧陸軍浦入砲台。昭和16年11月以前に兵員配備。 探照灯施設か。戦時日誌では、他の装備の記載が見当たらない。 昭和18年6月8日に諸兵器半永久的保存、砲員は博奕岬に復帰(戦時日誌)。 |
| (米軍資料) 記載なし。 |
| (朝日新聞昭和20年11月18日付)(舞鶴市史編さん室 1976年) 記載なし。 |
| 【21】福知山(小貝山)防空砲台 (京都府綾部市小貝町) |
| 昭和20年6月に兵員配備。 |
| 『昭和20年9月 引渡目録並に要図 福知山航空基地』 https://www.jacar.archives.go.jp/das/meta/C08011074200 JACAR (アジア歴史資料センター)Ref.C08011074200 装備:88式7cm野戦高射砲7、90式高射尖鋭弾1199、4式射撃装置3型1、97式2m高角測距儀架台1、高角砲砲側弾薬包筐28、8cm高角双眼鏡1(要図記載) |
| (朝日新聞昭和20年11月18日付)(舞鶴市史編さん室 1976年) 記載なし。 |
| 【22】栗田防空砲台 (京都府宮津市上司) |
| 偽砲台から備砲設置。昭和20年6月段階で、陣地調査と兵器輸送が終了し、陣地構築中。未完成か。 |
| (米軍資料)記載なし。 |
| (朝日新聞昭和20年11月18日付)(舞鶴市史編さん室 1976年) 12.7cm連装高角砲4門、25mm単装機銃5基、12.7cm高角砲装填演習砲4門、ヱ式空中聴測装置1組、武式2m高角測距儀1基、97式2m高角測距儀1基、98式4m半高角測距儀1基 |
| 【23】建部山防空砲台 (京都府舞鶴市喜多) |
| 偽砲台から備砲設置。昭和20年6月以降に新設工事。未完成、高角砲が組み立て前か。 |
| (米軍資料WOR46695)(久保晋作 2011年) 装備:8cm連装高角砲部品1、砲身2、砲架2、砲盾2、架台付高射器1、2m高角測距儀(三脚)1、12cm高角双眼鏡(三脚、付属品)1、8cm高角双眼鏡(三脚、付属品)1、110cm探照灯(管制器)1 探照灯用直流発電機1、探照灯用インダクタ(?)と直流発電機1、電動機1 |
| (朝日新聞昭和20年11月18日付)(舞鶴市史編さん室 1976年) 2センチ連装砲2門、4式射撃装置1基、2メートル高角測距儀1基、1メートル10センチ探照灯 |
(表2)は、終戦後にアメリカ軍が作成したリストと朝日新聞の昭和20年11月18日付記事(舞鶴市史編さん室 1976年再録)にもとづく各砲台の装備と施設です。一致はしていません。
アメリカ軍作成リストは、国立国会図書館憲政資料室で閲覧が可能とのことですが、(表2)は、久保晋作氏の論文(久保 2011年)から引用させていただきました。
福知山については、日本側が昭和20年9月に作成した『引渡目録』をもとにしています。他の砲台についても、アメリカ軍作成リストのもとになる『引渡目録』があるはずなのですが、アジア歴史資料センター所蔵資料からは確認できませんでした。
(図4、表2)は、途中で閉鎖された浦入砲台を除き、太平洋戦争終戦時の防空砲台です。
これに対して、太平洋戦争開戦時の昭和16年11・12月分の戦時日誌の兵力配備表に掲載されている防空砲台は以下の通りです。
【初期防空砲台】(昭和16年11・12月戦時日誌)
※「自昭和16年11月20日至昭和16年12月31日 舞鶴海軍警備隊戦時日誌」
・博奕岬防空砲台
・愛宕山防空砲台
・旧送信所山防空砲台 (中山防空砲台)
・浦入砲台
・空山防空砲台
・五老岳防空砲台
https://www.jacar.archives.go.jp/das/meta/C08030484100
JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C08030484100
このうち、愛宕山と旧送信所山についは完成していたようですが、その他については防空砲台としてどこまで機能していたのかは不明です。大半は、開戦に間に合っていません。
昭和16年12月の開戦時、倉梯山は、敷地造成の段階で兵員は不在です。
五老岳についても敷地造成中となっていますが、戦時日誌に昭和17年1月撮影の探照灯と双眼鏡(?)の写真が添付されているので、監視・観測活動は行われていたようです。
空山は、弾薬庫・発電所・油庫・自動車庫などが完成していましたが、射撃指揮所・聴測照射指揮所・兵舎などの主要施設が工事中です。ただし、空山では測距儀・探照灯とともに高角砲の写真が添付されているので、一応警備活動は始まっていたようです。
博奕岬と浦入(うらにゅう)はもともと陸軍施設で、探照灯施設であった博奕岬は、昭和17年4月に防空砲台としての増補工事が開始されているので、それ以前は監視・観測施設でしょうか。
舞鶴湾口にある浦入砲台は、隣接して海軍の浦丹生(うらにゅう)水雷衛所があったことから、陸軍の要塞整理・廃止にともない海軍に移管されたと思われます。ただし、戦時日誌に装備の記載がなく、探照灯施設であった可能性が高いようです。昭和18年6月には休止となり、兵員は隣接する博奕岬に異動しています。
防空砲台の整備は開戦後もなかなか進まず、完成は、博奕岬が昭和17年10月ごろ、空山と五老岳が昭和17年年末から昭和18年当初、倉梯山にいたっては昭和18年7月ごろになりました。
昭和18年10月には、実質的な鎮守府の司令室となる地下施設、東山防空指揮所(写真4)が開所しますが、前年に新営工事が具申された高尾山防空砲台(現京丹後市・宮津市市境界)などは、そのまま立ち消えになったようです。
その後、昭和19年(1944年)に福知山(小貝山)、昭和20年になってから、栗田と建部山に防空砲台が慌ただしく築造されます。
福知山(小貝山)は、福知山海軍航空基地(石原飛行場)(京都府福知山市)に付属する防空砲台で、昭和20年6月に兵員が配備されます。
栗田と建部山については、未完成のまま終戦を迎えたようです。建部山は、明治期の陸軍堡塁跡地に築かれますが、昭和期の遺構は認められず、明治期の施設をそのまま利用したと思われます(写真6)。ただし、終戦後のアメリカ軍作成リストによると、8cm連装高角砲は部品のままで組み立てられていません。

機銃砲台
昭和19年(1944年)になると、鎮守府周辺を中心に、数多くの機銃砲台(防空機銃砲台)が設置されます(図5・6、表3)。
機銃砲台は、低空侵入機を迎撃するための機関銃を備えた砲台で、高角砲を装備した防空砲台のように、測距儀・探照灯・聴音機やこれらにともなう発電施設がないため本格的な整備工事は行われていません。したがって、機銃座と推定される掩体(凹地)が確認されている程度で、そもそも推定地も不確実なものが多いようです。(図5)の位置は、おもにファーザーさんのWebサイト『射砲陣地と防空砲台(Anti Aircraft Battery)』を参考にさせてもらいました。

No.は(表3~5)と一致。
(表3) 【舞鶴 機銃砲台一覧】
| 【8】 | 工廠 (S17/6配備) | 舞鶴市長浜・余部下 | 25mm連1、13mm連2(S19/4)。 |
| 【9】 | 東山 (旧名 防備隊山) (S17/8配備) | 舞鶴市浜 | 40mm(S20/5)、13mm単4(S19/4)。 |
| 【10】 | 喜多 (S19/5配備) | 舞鶴市喜多 | 13mm単2(S19/4)。 |
| 【11】 | 倉谷 (S19/5配備) | 舞鶴市倉谷 | 40mm(S20/5)。13mm連1、13mm単2(S19/4)。 |
| 【12】 | 磯崎 (S19/5配備) | 宮津市小田宿野 | 13mm連2、13mm単2(S19/4)。 |
| 【13】 | 白浜 (S19/7配備) | 舞鶴市長浜 | 13mm単4(S19/4)。 |
| 【14】 | 北吸 (S19/7配備) | 舞鶴市北吸 | 13mm単2(S19/4)。 |
| 【15】 | 大波 (S19/5配備) | 舞鶴市平 | 13mm単4(S19/4)。 |
| 【16】 | 松ヶ崎 (S19/10配備) | 舞鶴市大波上・泉源寺 | 13mm連1、13mm単1(S19/4)。 |
| 【17】 | 朝来 (S19/5配備) | 舞鶴市朝来中・吉野 | 25mm連1、13mm連1、13mm単5(S19/4)。 |
| 【18】 | 雁又 (S19/12配備) | 舞鶴市長浜 | 25mm連1、13mm単5(S19/6)。 |
| 【19】 | 西舞鶴埠頭 (S20/6配備) | 舞鶴市松陰 | 25mm連3(S20/6)。 |
| 【24】 | 兵分枝 (S20/5配備) | 不明 | 13mm(S20/5)。 |
| 【25】 | 舞国 (S20/5配備) | 不明 | 13mm(S20/5)。 |
| 【26】 | 工廠第三船渠後方高地 (S20/6配備) | 舞鶴市長浜・余部下 | 25mm連3(S20/6)。 |
| 【27】 | 海兵団練兵場 (S20/6配備) | 舞鶴市泉源寺 | 25mm連3(S20/6)。 |
| 【28】 | 福知山(前田山) | 福知山市長田野町 | 25mm連6『福知山引渡目録』。 |
| 【29】 | 青井 | 舞鶴市青井 | 不明。 |
(S17/6)の表記は、昭和17年6月分の戦時日誌。

No.は(表2~5)と一致。
舞鶴の監視・観測体制
特設見張所
舞鶴鎮守府は、日本海側唯一の海軍の拠点であり、山形県から島根県に至る海域(第四海軍区)を管轄していました。防空については、陸軍との取り決めによって舞鶴周辺の局地防衛ですが、敵機や敵艦船・潜水艦の早期発見のための監視・観測拠点は各地に点在していました。
(図3・6、表4)は特設見張所です。
他に、特設監視艇隊が巡回していたようです(図3)。
(表4) 【特設見張所・防衛衛所・水雷衛所一覧】
| (1) | 経ヶ岬 | 京都府京丹後市丹後町袖志 | 電探2、96式150cm探照灯1、ヱ式聴音機1他。 |
| (2) | 越前岬 | 福井県丹生郡越前町血ヶ平 | 探照灯他。 |
| (3) | 皆月 | 石川県輪島市門前町皆月 | 探照灯他。遺構の一部が残る。 |
| (4) | 弾崎 | 新潟県佐渡市鷲崎 | 探照灯他。 |
| (5) | 上世屋 | 京都府宮津市上世屋 | 96式150cm探照灯1、ヱ式聴音機1他。遺構の一部が残る。 |
| (6) | 冠島 | 京都府舞鶴市 | 探照灯他。舞鶴要塞(昭和期)冠島砲台と併設。 |
| (7) | 和田山 | 福井県大飯郡おおい町大島 | 電探4。 |
| (8) | 長尾鼻 | 鳥取県鳥取市青谷町 | 探照灯他。遺構の一部が残る。 |
| (9) | 成生岬 | 京都府舞鶴市成生 | 遺構の一部が残る。 |
| (10) | 博奕岬 | 京都府舞鶴市瀬崎 | 遺構の一部が残る。ただし、防空砲台との区別は不明。自衛隊用地のため立ち入りができない。 |
| (11) | 新井崎 | 京都府与謝郡伊根町新井 | 陸軍砲台関係の遺構は一部残っているが、防衛衛所は不明。 |
| (12) | 浦丹生 | 京都府舞鶴市千歳 | 遺構の一部が残る。 |

(図3)と同じ。No.は(表4)と一致。
防衛衛所・水雷衛所
編制(表1)にはありませんが、監視・観測施設には他に防衛衛所と水雷衛所がありました(図6、表4)。
防衛衛所は、舞鶴湾へ侵入を試みる敵潜水艦や敵艦船を監視・探知するために設置された沿岸防備拠点です。
成生岬・博奕岬・新井崎の3か所がありました。このうち、博奕岬には防空砲台があり、組織・施設が明確に区別されていたのかは不明。成生岬・新井崎は、昭和期の陸軍要塞砲台と重なりますが、地点的にも分かれた別施設のようです。
浦丹生水雷衛所は、先に書いたように、浦入砲台に隣接する施設です。水雷衛所とは、湾口に敷設した「有線水雷(管制機雷)」を陸上から遠隔操作する施設です。他の監視・観測施設とは性格が違うかもしれません。
電波探信儀
監視・観測は、当初、双眼鏡や肉眼による監視、探照灯や聴音機を用いた夜間の音響警戒が中心でしたが、昭和18年(1943年)に、小型軽量化に成功した陸上設置型の三式一号電波探信儀(13号電探)(レーダー)が登場し、量産化が図られると、昭和19年ごろから各地に配備されるようになりました。
舞鶴の特設見張所では、経ヶ岬・弾岬・皆月・越前岬・長尾鼻が電波探信所として、他が聴音照射所として計画されたようですが、実際に電探が装備されたのは経ヶ岬と和田山で、他については確認できないようです。
電探は、空山・五老岳・槇山防空砲台にも装備されたようですが、五老岳については昭和20年2月の戦時日誌に「五老槇山に電探各一組装備完了」とあるものの、アメリカ軍のリスト(表2)には記載がありません。
戦局の悪化
戦局と空襲対策
昭和17年(1942年)4月18日、米軍艦載機による日本本土の初空襲は、日本に衝撃を与えました。
昭和18年9月30日の閣議および御前会議で「絶対国防圏」が設定されますが、昭和19年に入ると絶対国防圏は連合国軍の侵攻、空爆による脅威にさらされるようになります。そして、昭和19年7月には、サイパン島が陥落し、日本本土はアメリカ軍の長距離爆撃機の行動圏内に入りました。
舞鶴では、昭和19年(1944年)3月ごろから、空襲対策として、海軍工廠など鎮守府中心部に機銃砲台を増設し、各防空砲台では、探照灯、発電機や弾薬庫、電線、電話線の地下格納・移設工事が進められています。
昭和19年末から翌年には、空山、五老岳、槇山で対空警戒用電探も設置されました。
一方で、同時期には、「偽砲台(偽装砲台)」なる非実用的なものも築かれています(図5・6、表5)。これは、本物の陣地と誤認させて無駄な空爆を行わせるなど敵機の攪乱を意図して全国で構築されたようです。しかし、こんなことで戦争に勝てるとは到底思えません。(写真7)は明治期の吉坂本堡塁(福井県高浜町)に構築された偽砲座と推定される掩体です。

(角田誠 2011年)掲載図に加筆。

明治期の施設にはない素掘りの凹地掩体が明治期の施設と無関係に点在。偽砲座の可能性。

明治期の堡塁の施設を利用して偽砲台としていた可能性もある。
(表5) 【舞鶴 偽砲台一覧】
| [1] | 建部山 | 舞鶴市喜多 | 旧陸軍堡塁。後に防空砲台に改築、ただし未完成か。防空砲台の遺構不明。(S19/12・S20/1戦時日誌)。 |
| [2] | 栗田 | 宮津市上司 | 栗田トンネル北側。後に防空砲台に改築、ただし未完成か。(S19/12・S20/1戦時日誌)。 |
| [3] | 吉坂 | 福井県高浜町今寺 | 旧陸軍堡塁。偽砲座掩体(写真7)。(S19/12・S20/1戦時日誌)。 |
| [4] | 種寺 | 舞鶴市多祢寺 | 多祢山頂付近。(S19/12・S20/1戦時日誌)。 |
| [5] | 高野 | 舞鶴市引土 | 茶臼山城(引土城)内か。(S19/12・S20/1戦時日誌)。 |
| [6] | 天台 | 舞鶴市天台か | (S19/12・S20/1戦時日誌)。 |
| [7] | 眞壁 | 舞鶴市城屋・久田美 | 眞壁峠北側附近か。(S20/2戦時日誌)。 |
| [8] | 菅坂 | 舞鶴市・綾部市境 | 菅坂峠附近か。(S20/4戦時日誌)。 |
この時期は、さまざまな物資の不足が深刻化していたようで、昭和20年4月の戦時日誌には、各砲台で松根油生産、蔬菜類の増産が行われたことが記録されています。松根油は、松の根を使用した代用燃料です。
空襲の記録
連合国軍による本土への空襲は、昭和19年11月から本格化しますが、同年12月22日には、舞鶴にも敵機約18機が来襲し、愛宕山で8発、倉梯山で2発応戦しています。これにともなう戦果および被害はありませんでした。昭和20年4月2日にも敵機1機が舞鶴地区内に侵入し、槇山で4発、倉梯山で8発発射しています。戦果不明、被害はありませんでした。
しかし、昭和20年7月29日と30日には、舞鶴海軍工廠や軍港を中心に激しい攻撃を受けました。29日の午前8時35分ごろには、アメリカ軍機が長崎型原爆の模擬弾を舞鶴海軍工廠に投下、翌30日には、アメリカ海軍第38機動部隊の艦載機約200機が来襲し、舞鶴軍港や艦船などを攻撃しました。この2日間の空襲によって、勤労動員されていた学徒(京都師範学校や洛北実務女学校など)含む約200名が死亡しました。これに対する、防空砲台の迎撃やその戦果については、戦時日誌がないことから明らかではありません。
倉梯山防空砲台の現状とアクセス
倉梯防空砲台の現状
倉梯山(くらはしやま)防空砲台(京都府舞鶴市行永・堂奥・与保呂)は、舞鶴若狭自動車道の舞鶴東インターチェンジ西側の倉梯山に築かれた昭和期の防空砲台(防空高角砲台)です。
今回の投稿は概略とアクセスのみで、現地の遺構群は次回から紹介したいと思います。
倉梯山(写真9)は、南北約1.5kmの山域をもち、そのほぼ全域に遺構群が点在します。東側山ろくが若狭舞鶴自動車道によって削られていますが、ほぼ全山手付かずで、終戦後の施設・装備の撤去、破壊の後は静かに時を重ねている状況です。

北側から。
舞鶴を含む全国の鎮守府関連施設は、2016年4月に「鎮守府 横須賀・呉・佐世保・舞鶴 〜日本近代化の躍動を体感できるまち〜」として日本遺産に認定されています。倉梯山防空砲台は、その構成文化財です。ただ、登録されていることはごく最近気付きました。構成文化財は一般に個別施設(遺跡)ごとに登録されているのですが、倉梯山と愛宕山防空砲台は、なぜか「海軍防備隊、警備隊砲台群」として登録されているため、文化庁の日本遺産ポータルサイトの構成文化財検索でも「倉梯山防空砲台」ではヒットしません。分かりにくい。。。
倉梯山防空砲台は、こちらの「海軍防備隊、警備隊砲台群」にあります。ここでは、倉梯山防空砲台は「見学可」となっていますが、現地には、案内板どころか日本遺産の標柱すらありません(2025年11月現在)。
アクセス
遺構群の状況については、個人のWebサイトを含めても情報がほとんどありません。遺構配置図については、(サークル花粉航海 2012年)に略図があるぐらいで、これも印刷の指定ミスなのか、地図とルート・遺構マークが大きくずれてしまっています。
ただ、倉梯山防空砲台は、当時の軍道がアクセス道になっているため、兵舎あたりまでのルートははっきりしています。YAMAPにもいくつか活動記録が投稿されています。

若狭舞鶴自動車道側道と旧軍道。
登山口は、若狭舞鶴自動車道の側道と旧軍道の分岐地点です(写真10)。ここに2~3台駐車できるスペースがあります。旧軍道は、普通車が通行できるぐらいの幅員がありますが、地元でも利用者はいないようです。メンテがされていないため、途中倒木や崩壊部分もありますが、徒歩での危険か所はありません。最初の巨大施設、発電所(写真2)までは約30分です。
倉梯山は、南北に延びる稜線上に3か所のピークがあり、P3に三角点(244.2m)があります。そのためP3(図9)を頂上と誤認してしまいますが、最も高いのはP1で、標高は260mです。

赤線はGPSトラックデータ(2025年11月)。

国土地理院提供、1947年11月1日アメリカ軍撮影。

全国Q地図 地理院タイルから。
【倉梯山防空砲台】
京都府舞鶴市行永・堂奥・与保呂
登山口と駐車場は、若狭舞鶴自動車道の側道沿いにあります。
現在までに2023年3月、2024年3月、2025年11月の3回現地を歩いています。地元であればもっと通いたいところですが、登山口まで片道5時間はかかるので簡単に行ける場所ではありません。
初回は、建部山堡塁に登った後で、午後2時近くから登りました。この時は、とりあえず煉瓦建物(指揮所)(写真1)を目標にしました。明治期の陸軍砲台のように軍道を歩いて行けばおのずとたどり着くと思っていたのですが、兵舎まで行ったところでわけ分からず、煉瓦建物にようやく到達したところで時間切れになってしまいました。
2回目も、結局午後からになってしまい、P1からP2に向かったところで時間切れ。稜線上に次々現れる掩体群を見て、ようやく山の大きさ、遺跡範囲の広大さに気付かされました。
(図9)のトラックデータは3回目です。ただ、この時もまだ全国Q地図の赤色立体図(図10)が倉梯山をカバーしていないと思い込んでいました。図がなく探検気分で歩けることが倉梯山の魅力ではあったのですが、やはり手掛かりがあればあったなりの歩き方ができたと思います。もう一回、4回目行ってから投稿するか迷いましたが、このタイミングで投稿することにしました。
参考文献・Webサイトは、「舞鶴要塞・舞鶴鎮守府投稿一覧」にまとめてあります。
アジア歴史資料センターの史料については、Webサイトで閲覧が可能です。「舞鶴海軍警備隊戦時日誌」で検索してください。個別には、Ref(レファレンスコード)での検索も可能です。
2023年3月、2024年3月、2025年11月現地、2026年10月27日投稿。
