伝木下秀吉陣跡 (2)
織豊系城郭成立期 (8)


高橋成計氏作図、キャプション追加、図一部加除。(高橋 2018年)から。
伝木下秀吉陣跡
主曲輪最下段北東辺
(写真1~3)は、主曲輪最下段北東辺の腰曲輪です。この部分は「帯曲輪」と言った方が適当かもしれませんが、最下段西辺、東曲輪北辺と一体のものとして、ここでは「腰曲輪」としておきます。
主曲輪最下段北東辺は、虎御前山城の城郭遺構としては最も見応えのあるもので、下段側は高さ約3mの切岸が障壁となっています。ただし、横矢掛けはまったく考慮されていません。また、最下段面、切岸上主曲輪下段には、下段東端部以外土塁はありません。
(写真3)から(写真4(A))は、主曲輪から東曲輪への移行部分で、旧地形を反映して、切岸高は徐々に低くなっていきます。


東曲輪
東曲輪は主曲輪と違って、自然地形のまま縁辺部に土塁を築いただけの実戦的な造りです。城郭というよりも、野戦陣地の防塁のようです。

(A)主曲輪と東曲輪接合部、(B)東曲輪北東辺土塁外側腰曲輪、(C)土塁内側。
(写真4~8)は、東曲輪北辺部です。
(写真4(A))の中央部は、東曲輪の虎口かもしれません。動画でご確認ください。

東曲輪の遺構は土塁を中心としますが、その土塁も少なくとも現状を見る限り整ってはいません。
土塁外側には主曲輪北東辺からの腰曲輪が連続していますが、平坦面はやはり曖昧です。ただ、場所によっては、(写真5(B))のように横堀状のところもあります。


(写真6・7)は土塁内側です。断面皿状の幅広で浅い溝が土塁に沿って連続しています。
「塹壕」かもしれませんが、近いといっても小谷城出丸からの距離は約2kmあり、山なりに撃っても当時の鉄砲ではとどきません。攻め寄せる敵に対しては、せっかく高所にいるのに、塹壕を掘って立ち位置を低くするのもナンセンスだと思います。実際の深さは不明ですが、通路のようなものかもしれません。それとも、土塁を築くためのただの掘削痕でしょうか。

(A)北東辺土塁と腰曲輪、(B)東曲輪東端部、(C)東曲輪東端部から北辺部内側。
(写真8)は、東曲輪東端部です。(写真8(A))は北辺部東端、(写真8(B))は東端ですが、堀切などはありません。(写真8(C))は東端北辺部内側です。塹壕状の溝が回ってきています。
(写真9)は、東曲輪南辺ですが、ここも土塁内側が溝状になっています。

伝木下秀吉陣跡の特徴
中井均氏は、伝木下秀吉陣跡の特徴を以下の通りまとめています。
「伝木下藤吉郎陣は主郭に土塁を巡らせ、切岸直下には横堀を囲繞している。さらに横堀の端部は竪堀となって斜面を切断している。主郭の中心には櫓台となる土壇が配置されている。また、主郭虎口の前面には翳の堀を設け、直進して虎口に入れないようにしている。東側副郭は未削平の自然地形であるが、周囲には土塁が巡る。伝柴田勝家陣とを結ぶ北西尾根には堀切を構えて尾根筋を遮断している。このように伝木下藤吉郎陣は極めて複雑な構造を呈している」(中井 2020年 p.181)
これは、伝木下秀吉陣跡こそが信長の本陣であったとする中井氏の主張にもとづく説明ですが、注意を要する点が多々あります。
(1) 「主郭に土塁を巡らせ」は、主曲輪中段のことだと思います。上段・下段には一部をのぞきありません。
(2) 「切岸直下には横堀を囲繞している。さらに横堀の端部は竪堀となって斜面を切断している」は、前回投稿の「伝木下秀吉陣跡(1)」の(写真10・11)(写真8(C))ことだと思いますが、主曲輪下段東端部以外に横堀は認められません。
(3) 「主郭の中心には櫓台となる土壇が配置されている」は、主曲輪上段の推定古墳のことだと思います。あえて「櫓台となる土壇」としています。間違ってはいませんが。
(4) 「主郭虎口の前面には翳の堀を設け、直進して虎口に入れないようにしている」は、前回投稿の「伝木下秀吉陣跡(1)」の(写真12)のことですが、そもそも主郭虎口なるものがはっきりしません。
(5) 「伝柴田勝家陣とを結ぶ北西尾根には堀切を構えて尾根筋を遮断している」は、前回投稿の「伝木下秀吉陣跡(1)」の(写真7)のことですが、堀切規模は、「尾根筋を遮断」といった表現にそぐわないものです。
伝木下秀吉陣跡は、伝織田信長本陣跡と比較して複雑な構造をもってはいますが、中井氏の説明は、横堀のように、ごく一部のことをまるで全体の特徴のように述べています。少なくとも、「極めて複雑な構造」は、伝木下秀吉陣跡の評価を逆にゆがめているように思います。
先進的と評価される「織豊系城郭」の中で、どう位置づけられるのかは、次回にまとめたいと思います。

虎御前山城は、小谷城落城後そのまま廃城になったと推定されています。
次回紹介する伝織田信長本陣跡や伝堀秀政陣跡は整備されてしまっていますが、伝木下秀吉陣跡でもとくに今回紹介したエリアは、ハイキングコースからも外れていて、季節さえ選べば、合戦当時に思いをはせることのできるなかなかステキな場所だと思います。
参考文献は、「織豊系城郭成立期投稿一覧」にまとめてあります。
2024年12月、2025年11月(虎御前山城)現地、2026年6月23日投稿。
