百済寺子院引接寺(滋賀県東近江市)
石塔寺(滋賀県東近江市)
敏満寺石仏谷遺跡(滋賀県多賀町)
安土城御茶屋平(滋賀県近江八幡市・東近江市)
化野念仏寺(京都府京都市右京区嵯峨)
戦国時代の石仏・石塔
「矢穴」から派生した話です。
まだ勉強途中ですが、近江の石仏・石塔について少しまとめてみます。
近江の城や寺院、集落を歩いていると、手作りの前掛けをして今なお大事にされている高さ50cmほどの石仏や石塔をあちこちで見ることができます。これらは、けっして精巧とはいえないもので、美術史的に取り上げられることはありませんが、意外と古く、ほとんどが戦国時代のものです。
興味を引かれるのは、おそらく応仁・文明の乱(1467~1477年)のころから、突然、そして爆発的に増加し、江戸時代初期の慶長年間のころには、幕府の宗教統制が強化されたことによるのか、突然つくられなくなってしまいます。
とくに高さ50cm前後の一石五輪塔に代表される小型の五輪塔(組合式五輪塔を含む)は、近畿地方中心として、関東から中国地方にいたる広い地域で多数確認されています。
これに石仏が加わりますが、大阪南部から和歌山のようにほとんどが五輪塔の地域もあれば、滋賀から京都、奈良のように石仏が半数程度を占める地域もあります。
多様な地域性をもちながらも、各地ほぼ同時期に小型の石仏・石塔が爆増します。
石仏・石塔群は、京都化野念仏寺(あだしのねんぶつでら)が有名ですが、滋賀県でも百済寺(ひゃくさいじ)子院の引接寺(いんじょうじ)や石塔寺(いしどうじ)で圧倒される数の石仏・石塔を見ることができます。
敏満寺石仏谷遺跡(びんまんじいしぼとけだにいせき)もそうした遺跡のひとつです。
化野念仏寺は8,000体と言われていますが、石塔寺・百済寺では、下記の集計結果があります。
伊派などの専門の石工集団によって数多くの優品が生み出された中世前期から、小型の石仏・石塔が爆発的に増加した中世後期への変化は、背景として、石仏・石塔の造立の「目的」、「主体」、それにともなう「製作体制」の変化を予測させますが、それがいったい何だったのか。
引接寺は、百済寺の子院(末寺)にあたります。境内の石仏・石塔群は1986年に付近の山野に散在していたものを集めたもので、「来迎浄土」と呼ばれています。毎年8月22日に万灯供養が行われているようです。
駐車場あり。拝観無料。
石仏・石塔群の中心にある石造三重塔(伝阿育王塔)は、奈良時代前期建立で国重要文化財に指定されています。石造層塔としては日本最古で高さは7.6m。
毎年8月末には、石塔寺万燈祭が開かれ、石塔と石仏に献灯が行われるとのこと。
駐車場あり。拝観料大人400円。
安土城東門口、御茶屋平の石仏・石塔群です。こうした石仏・石塔の集積は、滋賀県内各地で見ることができます。
東門口エリアは、八十八か所霊場の巡礼路を模して大正8年頃に整備されたエリアで、立ち入り禁止区域外になっています。
駐車場は大手道前を使用のこと。