長崎台場 (2)
幕末の城 (4)

魚見岳台場の概要
魚見岳台場の特徴
魚見岳台場(うおみだけだいば)は、長崎港口の要衝地、女神水道の東岸に築かれた台場(砲台)です(写真2)。
女神水道の防衛強化を目的に文化7年(1810年)に築造を開始、文化9年(1812年)に竣工しました。
台場設置の経緯や見学方法は、前回の投稿をご覧下さい。

GoogleEarthから。(A)北から、(B)南から、(C)上から。

(長崎市教育委員会 2011年a)からの転載、一部加筆。
現在全国各地で見ることのできる台場(砲台)は、多くが嘉永6年(1853年)のペリー来航後の安政年間以降の築造です。品川台場(東京都港区)などこの時期の台場の特徴は、砲撃によるダメージを軽減するために、高石垣を止め低重心で厚めの土塁を築いています。また、一般的な沿岸台場は、土塁(胸墻(きょうしょう))と砲眼(砲門)を遺構の基本とします。
これらより古い魚見岳台場は、嘉永・安政年間以降築造の台場とは違い、曲輪を段状に普請し高石垣を築いています。大砲前の砲弾止めの土塁・石塁(胸墻)はありません。
基本は城郭の応用形なのでしょう。ただし、城郭とは違って、背後に明確な区画はなく、堅固な虎口も築かれていません。攻城戦は想定していないと思います。
また、曲輪の平面形・塁線は、直線・直角ではなく多角形(三ノ増台場)、曲形(一ノ増台場)にしています。これは大砲を複数の位置・方向から発射するための工夫と推定されています
魚見岳台場の構造
魚見岳台場は台場地区(三ノ増台場・二ノ増台場・一ノ増台場)と居住・管理地区(下ノ段・中ノ段・上ノ段)に分かれています。今回の投稿は台場地区です。
魚見岳台場は、大久保山中腹の標高40~90m付近に築かれています(写真2)。上から「一ノ増台場(いちのましだいば)」「二ノ増台場」「三ノ増台場」の3段の曲輪群があり、絵図によると、一ノ増台場に大砲8門、二ノ増台場に9門、三ノ増台場に5門が設置されていました(図2)。

(九州歴史資料館 2018年)からの転載。配置された大砲が描かれています。
備砲は、500目から3貫目の青銅砲です。江戸時代の大砲は、弾丸の大きさを基準としていて、重さ500匁(約1.875kg)から3貫(約11.25kg)の砲弾を発射する和製大砲です。備砲の内訳は不明。
なお、「一ノ増台場」などの名称は報告書(長崎市教育委員会 2011年a)によります。由来は確認できませんでしたが、魚見岳台場は絵図を含む史料が多数残されているようなので、そこの註書きにあるのでしょう。
魚見岳台場の遺構
三ノ増台場
最下段の台場です。(写真3~5)です。
このエリアは周辺が伐木されていて、女神大橋や長崎湾を望むことができます。
変形六角形の区画で、切岸4辺に石垣が組まれています。石垣は切込矧ぎです。石垣前には帯曲輪状の平場があります。

(A)三ノ増台場からの展望、(B)三ノ増台場上、(C)標柱。


(A)北辺部、(B)北西辺部、(C)(D)南西隅角。
二ノ増台場
(写真1・6~11)です。
(写真6(C)・7)は入口となる石段Aです。かなり崩れていてこの部分は立ち入り禁止になっていました。

(A)(B)三ノ増台場から二ノ増台場への通路、(C) 二ノ増台場下段石垣と石段A。

二ノ増台場の石垣は2段になっていて、中段の腰曲輪は通路になっています(写真1)。通路は二ノ増台場と居住・管理地区の「下ノ段」を結んでいます。
2段の石垣は、下段が粗割りの布積みで、矢穴石が確認できます(写真8)。小型のCタイプです。
石垣・石段の石材は現地調達だったようです(長崎市教育委員会 2011年a)。

上段石垣は切込矧ぎ。下段石垣は、粗割りの布積みで矢穴が確認できる。


(A)石段B、(C)西辺部。
(写真9・10)は、二ノ増台場の入口となる石段Bです。
(写真10)は二ノ増台場です。やはり土塁・石塁はありません。

(A)(B)石段B横、(C)北西隅部。
上段の石垣(写真1・11)は切込矧ぎで、高さ5mはあるでしょうか。若干反りをもっています。塁線は直線・直角で江戸時代の城郭らしい石垣です。台場らしくはありませんが。
一ノ増台場
(写真12・13)は、二ノ増台場から一ノ増台場をつなぐ石段Cです。


(A)一ノ増台場上から、(B)石段C(上段)、(C)石段C(下段)。

(A)(C)一ノ増台場北東部石垣、(B)石段D。

隅角をつくらず曲線を描く。
(写真14)は、一ノ増台場北東隅の石垣です。(写真14(B))は石段Dで、居住・管理地区の「上ノ段」との連絡道につながっています。
(写真15)は、一ノ増台場北西隅の石垣で、隅角をつくらず曲線を描いています。
(写真16)は、一ノ増台場西辺部の石垣です。(写真16(C))は亀甲形築石を中心とした意匠的にも見える石積みです。何か所かで確認できました。岡城(大分県竹田市)の車軸築(くるまじくづき)積みや盛岡城(岩手県盛岡市)の笑い積みなどに似ていますが、どうでしょうか。
(図2)の絵図には描かれていませんが、報告(長崎市教育委員会 2011年a)によると、一ノ増台場には、番所と推定される建物があったようです。

(A)南西隅部、(B)西辺部上、(C)亀甲形築石を中心とした石積み。

今回は、おもに
・長崎市教育委員会『国指定史跡長崎台場群魚見岳台場跡保存管理計画書』2011年a
を参考にさせてもらいました。
参考文献は「幕末の城投稿一覧」にまとめてあります。
魚見岳台場2024年4月現地、2026年8月30日投稿。
