矢穴の話 (3)
京都府木津川市(旧当尾村)
「矢穴」探しをかねて、久しぶりに当尾(とうの)を歩いてきました。2022年12月です。
以前、長法寺遺跡(滋賀県大津市)を訪ねたときに、荒れてしまった墓所(「墓が尾」)でたたずむ石仏を見て以来、石仏・石塔にも興味をもつようになりました。
当尾については、浄瑠璃寺(じょうるりでら)は数年前にも訪れたことがあるのですが、石仏は、高校の卒業グループ旅行以来でした。
当時は生意気盛りで、東大寺とか興福寺周辺を横目で見つつ、当尾や般若寺、新薬師寺、元興寺なんかを歩いた記憶があります。
今回は、半日だけですが、浄瑠璃寺、岩船寺、当尾の郷会館の駐車場を利用して、その周囲を歩きました
辻千日墓地
当尾で最も古い墓地で、多くの石造物があります。現役の墓地でもあります。
辻千日墓地(千日墓地)には、古い時代(いつとは言い切れませんが)の典型的な墓地の姿が残っています。
入口にはまず「六地蔵」。衆生(すべての生物)がその業(ごう)の結果として輪廻転生する六の世界(地獄道・餓鬼道・畜生道・修羅道・人間道・天道)それぞれを六の地蔵が救うとする考えから、墓地の入口に祀られるそうです。
そして石段の上に「石鳥居」。年代は不明ですが、鎌倉時代説があるようです。 鳥居は俗世との「結界」を意味しています。鳥居=神社は、明治の神仏分離令以降のことで、その段階で墓地の鳥居の多くが取り壊されてしまったようです。
ここ数年歩いている近江は、阿弥陀如来坐像の石龕仏と一石五輪塔が大半で、当尾とはまったく組成が違います。中心となる時代は当尾の方が古く、中世でも前半期に盛期がありそうですが、そうはいっても、戦国時代の畿内から東海地方で多量に奉斎される一石五輪塔がほんど見られないのが不思議です。
福井県一乗谷朝倉氏遺跡の石仏ともまったく違います。地域ごとの違いが何によるのか。造立主体の階層差なのか、宗派なのか、時期差なのか。
当尾の矢穴は次回。
2023年4月現地、2024年5月2日投稿