当尾の石造物 (1)

 

矢穴の話 (3)

京都府木津川市(旧当尾村)
2022年12月

「矢穴」探しをかねて、久しぶりに当尾(とうの)を歩いてきました。
以前、長法寺遺跡(滋賀県大津市)を訪ねたときに、荒れてしまった墓所(「墓が尾」)でたたずむ石仏を見て以来、石仏・石塔にも興味をもつようになりました。

当尾については、浄瑠璃寺(じょうるりでら)は数年前にも訪れたことがあるのですが、石仏は、高校の卒業グループ旅行以来でした。
当時は生意気盛りで、東大寺とか興福寺周辺を横目で見つつ、当尾や般若寺、新薬師寺、元興寺なんかを歩いた記憶があります。
今回は、半日だけですが、浄瑠璃寺、岩船寺、当尾の郷会館の駐車場を利用して、その周囲を歩きました

当尾笑い仏
【岩船(いわふね)阿弥陀三尊磨崖仏】①
当尾石仏群の中で最も有名な石仏、通称「笑い仏」です。
中尊の像高は0.76m。

永仁7年(1299年)の銘があります(写真左脇侍の左)。上部の巨石が庇となっているので、螺髪や細かい刻線までよく残っています。
願主は岩船寺、石工は伊派の末行です。
当尾やぶの中三尊
【藪中三尊磨崖仏】②
通称「やぶの中三尊」です。左から阿弥陀如来坐像、地蔵菩薩立像、十一面観音立像です。

地蔵菩薩の像高は1.53m。
弘長2年(1262年)の銘があります(地蔵菩薩立像の左)。

辻千日墓地

当尾で最も古い墓地で、多くの石造物があります。現役の墓地でもあります。
辻千日墓地(千日墓地)には、古い時代(いつとは言い切れませんが)の典型的な墓地の姿が残っています。
入口にはまず「六地蔵」。衆生(すべての生物)がその業(ごう)の結果として輪廻転生する六の世界(地獄道・餓鬼道・畜生道・修羅道・人間道・天道)それぞれを六の地蔵が救うとする考えから、墓地の入口に祀られるそうです。
そして石段の上に「石鳥居」。年代は不明ですが、鎌倉時代説があるようです。 鳥居は俗世との「結界」を意味しています。鳥居=神社は、明治の神仏分離令以降のことで、その段階で墓地の鳥居の多くが取り壊されてしまったようです。

【辻千日墓地】
当尾千日墓地十三重石塔
【辻千日墓地 十三重石塔】③
国指定重要文化財。

永仁6年(1298年)の銘があります。ほぼ完存で、高さは約4m。
初層軸部四方には、顕教四仏(北面:釈迦如来) (東面:薬師如来) (南面:弥勒如来) (西面:阿弥陀如来)、基礎の北面には供物などを納める奉籠孔(ほうろくこう)が穿たれています。
銘は基礎石にあるそうですが、まったく読めません。
当尾千日墓地双仏石
【辻千日墓地 双仏石】④
阿弥陀(右)・地蔵(左)です。南北朝時代(室町時代説あり)。

当尾最大の双仏石で全高1.65m、宝珠と屋根(笠石)は別造りの石龕仏(せきがいぶつ、龕=厨子)です。二尊により、現世の安穏(地蔵)と来世の極楽往生(阿弥陀)を願ったものです。
当尾東小墓地五輪塔
【東小(ひがしお)墓地五輪塔】⑤
東小墓地の入口に立つ総供養塔です。辻千日墓地もそうですが、ここも現役の墓地です。
鎌倉時代後期の作で、高さは2.8m。
地輪の下、基礎石の上面に複弁返花座を設けた「大和式五輪塔」です。
当尾大門石仏群
【大門(だいもん)石仏群】⑥
この近くにあった阿弥陀寺跡鎮守社の石仏・石塔などを寄せ集めたものだそうです。
地蔵立像の石龕仏(上)、舟形光背の地蔵仏(下左)、舟形光背五輪塔(下右)です。
当尾map

ここ数年歩いている近江は、阿弥陀如来坐像の石龕仏と一石五輪塔が大半で、当尾とはまったく組成が違います。中心となる時代は当尾の方が古く、中世でも前半期に盛期がありそうですが、そうはいっても、戦国時代の畿内から東海地方で多量に奉斎される一石五輪塔がほんど見られないのが不思議です。
福井県一乗谷朝倉氏遺跡の石仏ともまったく違います。地域ごとの違いが何によるのか。造立主体の階層差なのか、宗派なのか、時期差なのか。
当尾の矢穴は次回。

参考文献
・河合哲雄「石仏と石塔」 webサイト
・「当尾石仏map」一般社団法人木津川市観光協会
・中淳志『当尾の石仏めぐり』東方出版 2000年
・狭川真一編『中世墓の終焉と石造物』高志書院 2020年


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