京極高次・京極高吉 墓

 

清瀧寺京極家墓所

清瀧寺(せいりゅうじ)徳源院(とくげんいん)(滋賀県米原市清滝)は、京極家の菩提寺であり、墓所は国指定史跡に指定されています。

京極家19世当主京極高次は、関ヶ原の戦いの前哨戦である大津城籠城戦で、西軍の毛利元康や立花宗茂らを足止めした功により若狭一国8万5,000石へ加増転封されました。
しかし、京極高次の墓所は若狭小浜ではなく、現在滋賀県米原市清滝にあります。

清瀧寺京極家墓所下段
【清瀧寺京極家墓所 下段】
手前の石廟が、京極高次墓です。右手に、高矩(24世)、高中(25世)、高豊(22世)の木造廟屋が並んでいます。
清瀧寺京極家墓所
【清瀧寺京極家墓所】
清瀧寺京極家墓所現地解説版
【清瀧寺京極家墓所 現地説明板】
墓所は国指定史跡です
指定名称は「せいりゅうじ」ではなく「きよたきでら」のようです。
清瀧寺徳源院墓所全体図
【清瀧寺京極家墓所 全体図】
墓所は(米原市教育委員会 2020年)から作成しました。上段が中世当主墓、下段が高次以降の近世当主墓です。

清瀧寺のある柏原の周辺地域は、京極氏の始祖氏信(1220~1295年)が居館を構えた京極氏の「本貫地」であり、氏信は、弘安9年(1286年)に自身の菩提寺として清瀧寺を創建しました。清瀧寺はその後荒廃したようですが、中興の祖19世高次(1593~1637年)が大津藩主だった慶長元年(1695年)ころから改修を進め、次代の20世忠高も整備を進めています。

大規模に改修したのは讃岐丸亀藩初代21世高和と2代藩主22世高豊で、とくに高豊は自藩領の一部を幕府に返上し、その替地として京極氏の本貫地であるこの地を取り戻しました。そして、三重塔(国重要文化財)などの堂宇の創建と、散在していた始祖氏信から18世高吉に至る歴代当主の墓を清瀧寺に集め、京極家の累代葬地としました。その後、支藩の多度津藩主を含め、幕末まで藩主の埋葬が行われ、今現在も京極家による供養が行われているそうです。

祖先祭祀は、先祖に対するただの追慕ではなく、そこから子孫に連なる永続的な親子関係と一族の恒久的な再生に対する願いです。
江戸時代、藩そして家名の永続を最大の使命とする大名家では、祖先崇拝を重視する儒教や吉田神道が(先進的な藩主を中心に)普及しました。清瀧寺墓所には儒式葬の影響は認められませんが、出自を創作するしかなかったほとんどの近世大名家にはまねのできない、武家とっての理想的な墓所ではないかと思います。

清瀧寺墓所、儒葬墓については、改めてまとめる予定です。

【清瀧寺京極家墓所 動画】
2026年5月21日追加

京極高次墓

清瀧寺京極家墓所の京極高次(1563~1609年)墓は、笏谷石(しゃくだにいし)製の石廟(石製の霊屋)と宝篋印塔です。

清瀧寺京極家墓所下段
【清瀧寺京極家墓所 京極高次石廟】
手前は、高矩(24世)廟屋です。右上に上段の宝篋印塔群が見えます。
清瀧寺京極家墓所京極高次石廟
【清瀧寺京極家墓所 京極高次宝篋印塔】
清瀧寺京極高次宝篋印塔
【清瀧寺京極家墓所 京極高次宝篋印塔】

笏谷石製の石廟は、北陸の前田家、越前松平(結城)家を中心に、遠くは北海道松前藩松前家墓所でも採用されています。

石廟内には、宝篋印塔(ほうきょういんとう)があります。高さは166cmです。
京極家では代々宝篋印塔を石塔としていますが、高次の宝篋印塔は、笏谷石製の「越前式宝篋印塔」です。
「越前式宝篋印塔」は、「越前式荘厳」と呼ばれている文様を刻んでいます。塔身部には、蓮華座の上に小花弁を周囲に配した細線陽刻園線の「月輪(がちりん)」を載せ、月輪中央に梵字の「種子(しゅじ)」を刻みます。基礎は、一側面を4区画に区分し、上部2区画に「竪連子(たてれんじ)」、下部2区画に「格狭間(こうざま)」を表現しています。
越前式は、京極家では、高次と正室の常高院(初)だけです。

高次の墓所(供養塔)は島根県松江市にもあります。後日投稿します。また、「越前式荘厳」についても、改めてまとめる予定です。

京極高吉墓

京極家18世当主京極高吉(1504~1581年)墓は、清滝寺京極家墓所上段にあります。
上段宝篋印塔は2mをこえる宝篋印塔がほとんどですが、これは1.1mです。砂岩製で越前式ではありません。

清瀧寺京極家墓所上段
【清瀧寺京極家墓所 上段宝篋印塔群】
清瀧寺京極家墓所京極高吉墓
【清瀧寺京極家墓所 京極高吉宝篋印塔】

京極高吉は、高次の父です。
暗黒の浅井傀儡時代の京極氏、15世高清から19世高次の間の動向は不明な点が多く、中世佐々木・京極家系図と江戸時代に編さんされた近世京極家系図も、この間混乱が見られます。高清の後、高峯、高秀といった実在が疑われる人物がいたり、高吉長男の高次が高吉59歳、次男高知にいたっては68歳の子であるといったあたりも、なにかしら後世につじつま合わせが行われたような気がします。

【清瀧寺徳源院】
滋賀県米原市清滝
HPによると、予約制での拝観を行っているようです。拝観料は大人500円。ただし、墓所については、修理中のため当面拝観ができないとのこと。くわしくは こちら

高野山奥之院京極高次墓所

先日投稿した浅井長政供養塔の左手(参道側)に、京極高吉・京極高次・大津籠城戦死者供養塔が並んでいます。

高野山奧之院京極氏
【京極氏供養塔】高野山奧之院
大津籠城戦死者(左端)、京極高吉(中央)、京極高次(右端)供養塔供養塔。浅井長政供養塔はこの右手にあります。2017年5月撮影。

高吉の供養塔は砂岩製の宝篋印塔で、高さ119.2cm。「慶長六年辛丑二月彼岸日」とあることから、関ヶ原の戦いの翌年、高吉の二十回忌に高次が造立したもののようです。
高次の供養塔は砂岩製の宝篋印塔で、相輪を欠き、現高で72.8cmです。「若狭小浜城主 泰雲院殿宰相公」とともに「慶長十四年五月三日」とあります。
宝篋印塔は一般的な関西形式です。高野山の京極家の檀那寺(どこかは不明)の方で用意したのかもしれません。

高野山奧之院
【高野山奥之院供養塔】
『高野山奥の院の墓碑をたずねて』高野山宿坊組合・高野山観光協会・高野山参拝講 から
これは現地で販売されているマップです。浅井長政と京極家の供養塔の記載はありませんが、大津籠城戦死者供養塔はマップにあることから、長政の供養塔を探すときの目印になります。2017年のものなので、現在は更新されているかもしれません。

参考文献
・木下浩良『戦国武将と高野山奥之院』朱鷺書房 2014年
・長浜み~な協会「特集佐々木京極家 千年続いたキセキ」『み~な』vol.146 2021年
・米原市教育委員会『史跡清滝寺京極家墓所保存活用計画』2022年跡小谷城跡総合調査報告書』2020年

主家筋の京極家を「浅井」シリーズに入れるのは、京極家からすると不本意だと思いますが、ご容赦ください。
清瀧寺京極家墓所については、ご住職に特別の配慮を頂き拝観させていただきました。

京極高次清瀧寺墓所については、島根県松江市の安国寺塔を含め、まとめ直しています。その他、越前式荘厳、儒葬墓については以下をご覧下さい(2026年5月21日追記)。

 京極高次(2)
 笏谷石(1) (越前式荘厳)
 笏谷石(2) (大名墓)
 儒葬墓と祖先祭祀(1)

2016年5月(高野山奧之院)、2022年12月(清瀧寺徳源院)現地、2024年7月21日投稿、2026年5月21日追記。